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~ZEXAL+Ⅱ/エドガーのエトセトラ「トーマスとエドガー」~

アニメZEXAL+Ⅱ/エドガーシリーズの番外編です。

こちらは2024年4月4日……否!

ⅡⅡ0Ⅳ年Ⅳ月Ⅳ日に雨柳がこの世に解き放った

Ⅳ/トーマスの一人称視点で描いたⅡ/エドガーとのこれまで、

そしてこれからのお話です。

雨柳にとって大事な息子(否! 娘!)のエドガーに

幸せになってもらうという願いを形にした話ですので、

「既存キャラ×オリキャラ」に抵抗がなければ

ぜひエドガーの幸せを喜んであげてください。

※がっつりと「既存キャラ×オリキャラ」の恋愛描写がありますので

地雷臭を感じた人は速やかに自己防衛してください……

​・2024/4/4追加

★ZEXAL+Ⅱ/エドガーのエトセトラ★
★「トーマスとエドガー」★

 エドガー・アークライト――生まれたエルス家の事情に翻弄され、男として育てられた女の子。俺たちアークライト兄弟の中で一人だけ血の繋がりを持たない、俺と同じ歳の兄弟。
 それらの事実は、無意識ながらにも俺の中では大きかったのかもしれない。
 もちろん、血の繋がっている兄貴のクリスも、弟のミハエルも、二人とも俺にとっては大事な存在だ。二歳年下の弟であるミハエルに関しては兄として守るべき存在だとも思ってる。でも、俺が生まれて初めて、この手で、何があっても守り抜かなきゃいけないと思った存在は……誰でもないエディ――エドガー・アークライトだったんだ。

 

 

​ 1――雨の中の出会い

 

 確か、あれは俺が五歳になった年だった。子供の頃の記憶なんてほとんどはうやむやなのに、あの時、あの晩夏の午後……昼頃から降り続いていた小雨がだんだんと強くなっていったことは、今でも鮮明に覚えているんだ。
 あの日、俺とミハエルは兄貴に連れられて、先史遺産(オーパーツ)の研究をしている父さんのいる研究所へ傘と差し入れを持って行く途中だった。研究所と家はそう遠くなかったし、八歳という歳の割には兄貴はだいぶしっかりとしていたから、俺とミハエルの面倒を見ながら留守番をすることも、こうして父さんがいない時に三人で少しだけ出掛けることも珍しくはなかった。
 ク「だいぶ雨が強くなってきちゃったな……もう少し早く出ればよかったね」
 ト「えー、早く出たって同じじゃん」
 ク「それもそっか」
 ミ「そーなの?」
 ク「そうかもね」
 ミ「そうなんだ!」
 そんな他愛ない会話をしながら、だんだんと強くなる雨の中でも、俺とミハエルは気に入っているレインコートを着ていることも相まってか、兄貴も仕事中の父さんに会いに行くのが楽しみだったからか、億劫な気持ちもなく研究所を目指していた。
 だけど、その中で俺は確かに聞いたんだ。雨の中で誰かが倒れる音を……
 ト「……?」
 ク「トーマス、どうかした?」
 ト「……今、なんか音しなかった?」
 兄貴とミハエルに対してそう聞いてみたが、ミハエルは不思議そうな顔をして首を横に振り、兄貴も、
 ク「音? 雨の音じゃなくて?」
 と、ミハエル同様に不思議そうな顔で聞くだけだった。
 ト「そんなんじゃなくて! 絶対したよ! 誰かが倒れるような音!」
 気のせいかもしれないなんて、そんなことは思わなかった。俺はそうだけ言って、驚く兄貴やミハエルのこともお構いなしに、音がしたと思う方へと走り出していた。
 ミ「あ、兄さま!」
 ク「ちょっとトーマス……!」
 ミハエルを連れていたからすぐには駆け付けられなかったようだが、兄貴が俺を心配して後を追いかけてくれてたなんて、この時はそんなことを考える余裕もなかった。

 不思議だった。
 確かに、兄貴が言うように雨の音はどんどんと強くなっていく中で、人が倒れる音なんて聞こえるはずがないんだ。だけど俺は絶対に聞いたんだ。だから夢中で走った。まるで何かに導かれているような感覚まで覚えて、とにかく走った。
 ト「(あそこ……)」
 そしてたどり着いた。物陰に誰かがいると、そんな気がしてならない路地裏へと。
 ト「――!」
 物陰を恐る恐る覗き込んで驚いた。
 そこには、俺と同じ年くらいの子供が倒れていたんだ。
 ト「おい! どうしたんだよ! 大丈夫か?! なあ!」
 咄嗟に呼びかけ続けていると、やっと兄貴がミハエルを連れて俺の元に追いついた。そして、俺と同様に兄貴も倒れている子供の存在に気付いた。
 ク「――! その子は……!?」
 ト「あ……わ、わかんないけど、ここで倒れてて……起きないんだよ! どうしよう……」
 慌てて泣きそうな俺を見て、兄貴はミハエルを俺に預けて、倒れている子供を抱えた。
 ク「この子、熱があるかもしれない……とにかくこんなとこに置いていくわけにもいかないし……家に連れて行こう。それから父様にも相談しよう……僕らだけじゃどうしようもないよ……」
 ト「なら、早く帰ろう?! 早くしないと……そいつ死んじゃうよ……!」
 ク「うん……」
 俺が見つけたその子が何者かなんて、その子に何があったかなんてこの時わかるはずもない。だけど俺は、その子を見つけたその瞬間に、守らなきゃと思った。その子をこの状況に追い込んだ奴を許せないと思った。
 だが、この時の俺にできることなんて何もなくて、俺は兄貴に、その後の対応を託し、指示を出してもらうしかなかった……

 まだ幼かった俺には自分と同じくらいの体格のその子を運べるはずもなく、俺よりも小さいミハエルですら、まだ抱いたり背負ったりするのは難しかった。だからとりあえず兄貴がその子を背負い、俺がミハエルの手を引いて、歩くのが遅いミハエルに合わせながらも家まで急いだ。それから父さんの研究所に連絡をして、父さんにも帰って来てもらった。

 家に着き、俺と兄貴、遅れて家に到着した父さんは連れてきた子の濡れた服を脱がせて、とりあえず背丈が同じくらいの俺の替えの寝間着を着せ、服同様に濡れていた髪をタオルで拭いてやり、家族全員で使っている寝室のベッドに寝かせてあげた。
 父さんは、それだけしても起きることのなかったその子の様子を交代で看ようと言ったけど、俺はその子が目を覚ますまではどうしてもベッドから離れられなかった。だから、その子の様子を好奇心からか気にしていたミハエルと一緒にずっとベッドの端に座って、寝ているその子の様子を見ていた。
 それから数時間も経った頃だろうか。ふいに、閉じられていたその子の目と、ずっとその子の顔色を気にしていた俺の目が合った。
 ……俺たちアークライトの家族の誰とも違う、夕焼けや朝焼けのようなオレンジ色の大きな瞳の片方が――光を捉えた右目だけが、しっかりと俺の姿を映していた。
 エ「――!!」
 ト「ぅわ……!」
 驚いて思わず上げたのだろうその子の声に、みんなが何事かと集まってきた。
 バ「どうした!」
 ト「父様……! えっと……起きた! 今起きたよ!」
 バ「本当か!」
 ク「よかった……」
 父さんと一緒にかけつけた兄貴も、安心したようだった。だけど、当のその子は様子がおかしい。そりゃあ、目が覚めて知らない場所にいて、知らない人間に囲まれてたら怖がっても仕方ないだろうけど、そんな様子のおかしさとはまた違った。
 エ「あ……や、やだ……やだ……見えない……!」
 その子は、右目を隠しながらそんなことを言って怯えだした。そして、さっき俺に驚いて声を上げた癖に、俺たちのことなんて忘れてしまったようだった。
 ト「お、おい……」
 怯える様子があまりにも可哀そうで、落ち着けてあげたくて思わず声をかけてしまった。
 エ「あ……! だ、誰? ……どこ、ここ……?! お父様とお母様は……?!」
 俺の声に、その子はまた違う不安を思い出し、ひどく怯えだす。そして伝染するようにミハエルも怖がって、
 ミ「や……」
 と、兄貴の影に隠れてしまう。
 ト「え、えっと……」
 とにかくこの子を落ち着けてやらないと。そう思えば思うほど、まだガキだった俺には何も言葉が浮かばなかった。
 バ「怖いかもしれないけど、落ち着いて聞いて……ここは私たちの家だ。それで、私はこの子たちの父親のバイロン・アークライト。この子が道の物陰で倒れている君を見つけてね、雨の中に置いていくわけにもいかなくて家まで運んでくれたんだよ。だけど悪かったね。目が覚めて、いきなり知らない家にいたら、それは怖い思いをさせてしまったね」
 父さんがあえて穏やかにそう言うと、そのかいもあってその子は少し落ち着いた。
 ト「あ、あのさ……俺、トーマス! トーマス・アークライト! お前はなんていうの?」
 今思えば、なんでいきなり名乗ったのかとかは自分でもわからない。でも、父さんがその子を落ち着けてくれたこの隙を逃しちゃいけないと思った。とにかく、その子のことが知りたかった。
 エ「エドガー……」
 ト「エドガー?」
 エ「うん……」
 エドガーと名乗ったその子は、なぜか姓まで名乗ろうとしなかった。とにかく、エドガーと言う男性名から、見た目からは男か女かわからなかったその子が男の子だと俺たちは理解する。
 バ「そうか、エドガーくんか」
 父さんは、こんなイレギュラーな出来事があっても思いやりを忘れない人だった。この時、父さんはエドガーと名乗ったその少年が姓を口にしなかったことに何か意味があると感じ、無理にフルネームを聞こうとしなかったんだ。そして兄貴もそんな父さんによく似ている。
 ク「ねえエドガーくん、さっきお父様とお母様を呼んでいたみたいだけど、もしかして迷子になったのかな?」
 父さんの意図を理解して、あえて名前に関する話はしないところ、さすがは兄貴だ。
 エ「やだ……」
 会話になっていないその返答に、俺を含めみんなが不思議がる。
 エ「いない……? ねえ、お父様とお母様、ここにいない?!」
 バ「あ、ああ……君の近くに大人はいなかったみたいだから、君の名前が分かったら警察にご家族を探してもらおうかと思って――」
 エ「やめて……!」
 父さんの話を遮って、エドガーは震えだした。
 エ「僕……逃げてきたんだ……」
 ト「逃げたって、誰から……」
 俺の問いに、エドガーは左目を押さえて、
 エ「お父様と、お母様から……」
 と、小さく怯えたような声で答えた。
 この頃の俺に、親から逃げ出すなんてことの意味は分からなかった。でも、父さんや年上の兄貴には、エドガーの言うことの重大さがわかったらしく、二人揃って険しい顔をした。
 ク「でも、どうして……?」
 今度は兄貴が聞いた。
 エ「死んじゃうかと思った……逃げないと、死んじゃうかと思った……!!」
 ミ「――! うぅ……わぁああ……!」
 感情的になるエドガーの声に、兄貴の傍でなんとなく話を聞いていたミハエルが驚いて泣き出してしまった。
 エ「あ……ごめんね、ごめん……! えっと……」
 ク「ああ、大丈夫だよ。大丈夫だから気にしないで」
 エドガーに対してそう言ってから、兄貴はミハエルをそっと抱きしめる。そして背をさすりながら
 ク「びっくりしたねミハエル。でも怖くないよ……大丈夫、ほら、落ち着いて……」
 となだめてやると、
 ミ「うん……」
 と、すぐにミハエルは泣き止んだ。
 エ「えっと……ミハエル、くん……?」
 泣き止んだミハエルに恐る恐ると言った様子でそう言うエドガーに、自分の名前を呼ばれたミハエルはさっきまで泣いていたのも嘘のように
 ミ「うん!」
 と、嬉しそうな声で答える。
 エ「大きな声出して、ごめんね? あ、あの……お兄さんは……?」
 ク「僕はクリストファー。よろしくね」
 エ「クリストファーさん……」
 エドガーはふいに、二人を見てそうつぶやいた後、次は俺を見て
 エ「トーマスくん……だよね?」
 と、さっきの俺の言葉を確かめるように言ってきた。
 ト「そうだよ! 俺、トーマスだよ! 覚えた?」
 あえて元気よくそう言ってやると、エドガーは
 エ「うん、覚えたよ。みんなの名前覚えた……」
 と、小さくもやっと笑ってくれた。そしてそれを見て、父さんも笑った。
 バ「気持ちが落ち着いたらでいいから、よかったら何があったのかを教えてほしい。そうじゃないと、君がこれからどうしたいか、それをどう手伝ってあげればいいかもわからないからね」
 父さんがそう言うと、エドガーはまた左目を押さえて、
 エ「大丈夫……今、話せるよ……えっとね……」
 と言い、一息ついた。そして話しだす。
 エ「僕……女の子みたいなことをしたり、女の子みたいな話し方をすると、いつもお父様とお母様から怒られてたんだ……でもね、女の子なんだよ、本当は……だけど、僕が女の子だってわかっちゃうとダメだって、お父様とお母様がエルスの一族から追い出されちゃうからって、そう言われて……」
 俺にはエドガーの話がよくわからなかったけど、父さんには思い当たる節があったようで、
 バ「エルスの一族……? まさか、君はエルス家の女の子だというのかい……?!」
 ミ「エルス?」
 エ「おじ様、知ってるの……?!」
 バ「ああ……」
 ク「父様、エルス家って?」
 兄貴がそう訊くと、父さんはとりあえず兄貴にはわかるだろうと思い、知っている限りのエルスという一族について話していた。この時はまだ俺にはよくわからない話だったが、もう少し大きくなってから聞いた話だと、こういうことだった。
 エルスという一族は、俺たちの生まれ育った欧州の地方では有名な一族である。数代前からなぜか約束されているかのように栄えているのだが、不思議なことにその頃からエルス出身の女は見かけなくなっているという。
 要約すればそんな話を、父さんはこの時は兄貴だけに、そして後に成長した俺やミハエルにも聞かせてくれた。
 エ「名前、言えなくてごめんなさい……そうなんだ、僕……エドガー・R(ルーディン)・エルスっていうんだ……でも、エルスの名前、人に言いたくなかったから……」
 父さんが知っている限りのエルス家の話を兄貴にし終わったのを見て、エドガーは申し訳なさそうにそう言った。
 バ「いいんだよ。言いたくないことは誰にでもあるし、君は名前をちゃんと教えてくれたじゃないか。嬉しかったよ、エドガーって名前を教えてくれて。ねえ?」
 ト「うん!」 
 俺に同意を求めてきた父さんに、俺は大きくうなづいて見せた。すると、エドガーは少し驚いたようにも、小さく笑ってくれた。
 バ「それで……辛い話になるなら無理に教えてくれなくてもいいんだけど……さっきの、死んじゃうかと思ったというのはどういうことなのかな……?」
 父さんの言葉に、エドガーは再び表情を暗くしたが、それでも口を開いてくれた。
 エ「ずっと、お父様とお母様に怒られてばっかりだったんだ……話し方が女の子みたいだとか、虫を怖がったとか、親戚の人に女の子みたいだって言われたりした時も……そういうことがあると、いつもお家に帰ってから叩かれたり、ご飯をもらえなかったり、朝まで物置部屋に入れられたりするの……でも、頑張ったらいつも許してくれるから、だからいつも頑張ってたのに……」
 エドガーは、なぜか話しながら度々左目――最初に目が合った時に、どういうわけか俺の姿を映さなかった方の目を抑える。先ほどの様子からなんとなくの察しはついていたが、それでも真相を語られるまでは、その行為が不思議だった。
 エ「なのにね……今日ね、こっちの目……お父様のライターで焼かれたの……お前の目は呪いの目なんだって言われて……でも、誰にもこのことは言うなって、僕が勝手にお父様のライターで遊んでてこうなったって言えって……」
 その話に、呪いの目ってのが何なのかはわからなかったが、それでもエドガーを親に会わせちゃいけないと言うことを、この時点で俺も悟った。
 エ「なんで……? 呪いって何……? 本当に僕が悪いの? 熱くて……眩しくて、すごく痛くて……! だけど、誰も助けてくれなくて……! お父様とお母様が怖くて! 二人共消えちゃえばいいって思っちゃった……そしたら、そしたらね……気付いたらね、何があったのかはわかんないけど、お父様も、僕のこと抑えてたお母様も、二人共痛そうな顔して僕から離れてて……」
 また、どんどんと感情的になっていったエドガーだったが、今度は少しずつ自分で落ち着きを取り戻そうとしていた。
 エ「もう……お父様とお母様と一緒にいちゃだめだって思ったの。もう、誰かに消えちゃえなんて思っちゃいけないと思ったの。だから……だから僕……」
 バ「逃げ出してきたんだね……」
 父さんはそう言って、優しくエドガーを抱いてやった。そして安堵からか、両親への恐怖からか、エドガーは父さんに抱かれて泣き出してしまったが、父さんはずっとエドガーの背をさすり慰めるように優しく抱き続けた。
 そして、エドガーはしばらく泣いた後に呼吸が落ち着いた頃、
 エ「でも、どうしよう……お父様とお母様、きっと僕のこと探して追いかけて来るよ……待ちなさい、って言ってたもん……そしたら、今度はこっちの目も焼かれちゃうよ……何も見えなくなっちゃうよ……死んじゃうかもしれないよ……!」
 と、まだ怯えた様子の中でそう言った。
 すると父さんは、
 バ「大丈夫だよ……」
 と、すぐにこう言った。
 エ「え……?」
 バ「悲しいけれど……世の中には、君のご両親のように子供を大事に出来ない親がいるんだ……でもね、そんな親から子供を守る場所もあるし、それに……」
 そう言って、父さんは少し考え込むように間をおいてから
 バ「君が良ければ、私たちの家族になってくれたっていいんだ。……いや、私としては君も家族になってほしいとも思うんだが、どうだろうね」
 と、本当に優しい顔でそう言った。
 エ「家族……?」
 バ「ああ。私の子供として、この子たちのきょうだいとして、この家で暮らしてみないかい? もしそれが嫌なら、安心して過ごせる施設を紹介することもできる……とにかく、帰りたくないと言うのならお父様とお母様のところに帰る必要はないんだよ」
 父さんの言葉に、エドガーはもちろん、俺も兄貴も驚いた。
 急すぎる、そして場合によってはリスクの高すぎる決断。エドガーの話を聞き始めて今に至るまで、そんな大きな決断が出来るほどの時間などなかったように思える。それでも父さんはそのわずかな時間の中で、実の親に虐げられた目の前の一人の子供を引き取り育てるという大きな覚悟を固めていたんだ。
 エ「え……っと……」
 バ「すぐには決められないね、大丈夫だよ。よく考えて、答えが決まったら教えてくれればいいから。それまでは、嫌じゃなかったら家にいていいから安心して」
 そう言って、父さんは立ち上がる。
 バ「でもまあ、どうするか決める前にまずは元気にならなきゃな。まだ熱も下がってないようだし、今、薬と温かい飲み物でも持ってくるよ」
 父さんはそう言ってキッチンに行った。
 ク「そう言えば、エドガーくんは今何歳?」
 兄貴は、父さんに似た穏やかな口調でそう切り出す。何も話さずにいればエドガーが不安そうな顔をしているから、何か他愛ない話でもしようと思ったんだろう。
 ミ「二歳! ミハエル、二歳!」
 ク「でも、ミハエルはもうすぐ三歳になるもんね?」
 ミ「うん!」
 幼さゆえに、人への質問も自分へのものだと思うミハエルだったが、優しく相手をする兄貴を見て、エドガーもほっとしたような顔をして、
 エ「ミハエルくん、二歳なんだ」
 なんて言う。
 ト「それで、お前は何歳?」
 エ「あ、えっと……五歳だよ……この前お誕生日来たんだ」
 ト「ホント? 俺と一緒じゃん! 俺も五歳だよ!」
 同じ五歳と聞いて思わずそう言っていた。俺もこの年、初夏の頃に誕生日を迎えてすでに五歳になっていたんだ。
 エ「そうなんだ、トーマスくんも五歳なんだ……」
 初めて会った相手だから当たり前ではあったが、目の前にいる同い年の、そして同性でも異性でもある相手に「くん」を付けられて呼ばれることが、なんだかひどく恥ずかしかった。
 ト「そのさ、「くん」っての……なんか嫌だ……」
 エ「え……? あ、ごめん……」
 申し訳なさそうに謝るエドガーを見て、
 ク「トーマス、そんな言い方はないだろ?」
 と、兄貴は俺をたしなめる。
 ト「だってさぁ……」
 そこまで言って、言い淀む。ただ、この頃の俺はまだ今に比べりゃ素直だったんじゃないかと思うよ。この後に、
 ト「なんか、恥ずかしいんだもん……」
 なんて、言ってしまうんだからな。
 ミ「恥ずかしいの、何が? 兄さま?」
 遠慮もなくズケズケと聞いてくるミハエルだったが、
 ト「う、うるせえよ!」
 と言って、俺はばつが悪くなってしまってその場から立ち去り、父さんのいるキッチンに向かった。
 エ「あ……」
 今思えば、悪いことをしたなと思う。エドガーは、その場を去る俺を見てひどく申し訳なさそうな顔をしていたらしい。

 で、俺はなんで父さんの所に行ったかというと、だ。
 バ「トーマス、どうしたんだ? あの子と一緒にいてあげないのか?」
 ト「……あのさ、エドガーってなんて呼ぶの?」
 バ「なんて、って……」
 ト「ほら! クリスだってクリストファーなのにクリスじゃん! そういうの!」
 バ「ああ……そうだなぁ、エドとか、エディとかかなぁ……」
 ト「じゃあ、俺は? トーマスは?」
 バ「トーマスだったら、トムとかトミーとかだが……なんだトーマス、お前もクリスみたいにニックネームで呼んでほしいのか?」
 ト「父様はダメ!」
 バ「父様はダメって……なんで?」
 ト「秘密! でも、ありがと!」
 俺の質問に父さんは不思議そうな顔をしていたが、そんなこと気にしないで俺はみんなのもとに戻る。
 ト「エディ!!」
 エ「え……?」
 ト「お前のことエディって呼ぶから、俺のこともそんな感じで呼べよ!」
 エ「えっと……」
 戸惑うエドガー――エディに、俺はさっき父さんから聞いた自分のニックネームを伝えようとしたけど、エディって名前を頭の中で何度も繰り返してたから、肝心な自分のニックネームを忘れてしまっていた。
 ト「あー……その……」
 ク「トーマスなら、トムとかトミーだね」
 悔しいが、さすがは長男と言うべきか……兄貴はすぐに俺の言いたいことを察して、そして俺よりも持ち合わせている知識でそう言った。
 ト「そう、そうだよ! 俺のこと、トムって呼べよ! そしたらくんとか付けなくてもいいだろ?!」
 自分のこととは言え、子供の考え程よくわからないものはない。ニックネームにだってくんをつける時だってあるし、こんなくどいことしなくても、呼び捨てでいいって言えば済むかもしれないことなのに、この時の俺は最善の策だと思い、お互いにニックネームで呼び合えばいいんだと、そんなことを思いついた。
 でも、今になってこの時の俺の真意がわかる。エディと俺だけの、特別な「何か」が欲しかったんだ。そしてその「何か」を、ニックネーム――名前に見出していたんだ。
 ク「トム? トミーじゃなくて?」
 兄貴がからかってくる。
 ミ「トミー! トミー兄さまぁ!」
 ト「バカッ、トミーだとエディと似てんじゃん!」
 ク「じゃあ、エドガーくんをエドって呼べば?」
 さらなる兄貴の追撃。
 ク「ねえ?」
 そして兄貴はなぜかエディに同意を求める。ついでに、
 ミ「ねーえ」
 ミハエルまで、兄貴の真似を始める始末。
 ト「いいんだよ、エドガーはエドよりエディって感じなの! だから、俺はトムでいいの!」
 ムキになってそう言って、俺はエドガーの方を向く。
 ト「なあ、エディって呼んでいいよな? それでさ、俺のこと、くんとか付けないでトムって呼べよ? な!」
 そう言ってやると、エディは少し驚いたけど、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。
 エ「うん、わかった……」
 それから、俺は兄貴を見て、
 ト「でもな! クリスもミハエルも俺のことトムって呼ぶなよ? エディだけにそう呼ばれるんだ!」
 と言ってやると、ミハエルは意味も解ってないのか
 ミ「トム兄さまぁ!」
 と嬉しそうに呼んでくるが、
 ト「だから、お前はダメ! トーマス兄様!」
 と言ってやると、
 ミ「トーマス兄さまぁ!」
 と、素直に聞くから、まあ……可愛い弟だとは思う。
 それから、悪ふざけされる前にと思ってちょっと睨み気味に兄貴を見ると、兄貴は優しく笑って、
 ク「わかってる、わかってる……」
 と言って、エディを見てから
 ク「じゃあ……トーマス以外がエディって呼んだらトーマスに怒られそうだから、僕は君のことエドガーって呼ぶね。嫌じゃないかな?」
 と言った。
 エ「あ、うん、大丈夫……えっと、クリストファーさん……」
 ク「さんはいいよ、トーマスと同じ年なら三つしか離れてないんだし」
 先ほどの俺とはまた違った様子で、兄貴は「さん」とつけられて恥ずかしそうな顔をした。
 エ「三つ?」
 ク「うん。僕、八歳なんだ。だから君やトーマスより三つ歳上だね」
 エ「そうなんだ。そうしたら、何て呼んだらいいかな……」
 ト「クリスでいいよな。な、クリス? 父様もみんなもそう呼んでるもんな」
 ク「そうだね。……うん、僕のことはクリスでいいよエドガー」
 エ「え、でも……年上のお兄ちゃんなのに……」
 バ「だったらそのまま「お兄ちゃん」と呼んであげたらどうかな? ああ、それはそれで、まだ何も決まってないのに気が早いか……」
 ちょうど、薬と温かい紅茶を持って来た父さんがそう言う。
 エ「あ、おじ様……」
 バ「ちょうどみんなで食べようと思って買っておいたマカロンがあったんだ。紅茶とマカロン、嫌いじゃない?」
 エ「大丈夫です……」
 バ「良かった。薬を飲むにも、お腹が空いていたら体に悪いからね、よかったら食べなさい」
 エ「ありがとうございます、バイロンおじ様……」
 ミ「ミハエルも食べるー!」
 エ「あ……いいよ、食べて?」
 ミ「うん! エディ大好きー!」
 ト「こら、ミハエル! エドガーだぞ?! エディじゃなくてエドガー!」
 ニックネームなんて自由に使っていいものに頑なにこだわる俺の姿は、兄貴や父さんから見たらきっと滑稽だっただろうな……と、今になって思う。……実際、この時二人はくすくすと笑っていた。
 ミ「エドガー? エドガー! ありがとう!」
 エ「どういたしまして……」
 ク「でも、そうしたらエドガーのマカロンが無くなっちゃうね」
 バ「大丈夫さ、袋入りの大きいのを買っておいたからね、ほら」
 そう言って、父さんはマカロンの個包装が入った大袋を見せる。トレーの下に隠れていたが、手に持ってきていたようだ。それは様々な淡い色の種類の入った得用のアソートだった。エディが来なくても元々三人もの兄弟を抱える父さんは、いつもこうした大袋の菓子を家に置いてくれていた。
 ト「あ、なら俺も食べる!」
 ク「じゃあ僕も食べたいな。いい、父様?」
 バ「ああ、もちろん」
 ト「黄色いの俺のだぞ! ……ほら、お前の分! 袋から出してやるよ」
 自分はさっさと好きな色を取っておいて、エディに渡そうと思って袋から出したマカロンの色なんて気にしていなかった。そんな適当に俺の手に選ばれたマカロンは、偶然にも後にエディが好きだと言う色――紫色だった。
 エ「ありがとう、トム……」
 そう言って俺からマカロンを受けとったエディは、しばらくそれを食べずにじっと見ていた。
 ク「もしかして紫色は嫌い? せっかくなら好きな色のを選んでいいよ?」
 エ「ううん……好きな色って、考えたことなかったけど……でも、紫って綺麗だなぁって思って……」
 ト「へへ、俺の取ったやつ、良い色だろ?」
 エ「うん……ありがと……」
 そう言って笑ったエディの顔は、今でも覚えてる。遠慮もあるけど、心の底から笑ってくれていた。優しくて、暖かくて、今もその面影を残しているエディらしい笑顔だった。
 そして後に聞いた。この日が、エディが物心がついてから初めて笑った実感を持った一日だったと……
 ク「じゃあ僕は……水色にしよう」
 ミ「赤! 赤ちょうだい、兄さま!」
 ク「ちょっと待ってね……はい、どうぞ」
 ミ「ありがとー兄さまぁ!」
 そんな風に言い合いながらマカロンを食べ始める俺たちの様子を、父さんは優しく見守っていた。
 そんな中でエディは紅茶に口を付ける。
 エ「美味しい……」
 その小さな一言に、父さんは少し大人げなくも嬉しそうに、
 バ「そうかい? それはよかった!」
 と喜ぶ。
 ク「父様の淹れる紅茶、とても美味しいからね」
 バ「紅茶の美味しさが子供のうちからわかるなんて、二人とも大人だなぁ」
 ト「お、俺だって紅茶くらい飲めるし……」
 ミ「えー、ミハエルはジュースがいいー」
 こんなことを言っているミハエルだが、将来的には父さんよりも上手く紅茶を淹れられるようになり、そして家族の誰よりも紅茶にうるさくなるとは、この時は誰も思っていなかった。
 バ「そうムキになるなトーマス。ああ、ほらエドガーくん……そろそろ薬を飲んでも大丈夫かな」
 そう言って、父さんは解熱剤の錠剤を取り出してエディの手に乗せてやる。
 エ「ありがとうございます……」
 薬を飲み終わったエディを見て、父さんはそのおでこに手を当てる。
 バ「まだ熱もあるようだし、薬も飲んだから少しまた寝たらどうかな? 夜ご飯には起こしてあげるから」
 エ「え……ご飯、いいんですか……?」
 バ「もちろん。ここにいる間はみんなと一緒にご飯を食べてくれると僕も嬉しいよ。ああ、そうだ。エドガーくん、今日の夜ご飯は栄養のあるチキンスープにしようと思うんだけど、嫌いじゃないかな?」
 エ「た、たぶん……大丈夫だと思うけど……」
 ク「もしかして、チキンスープ飲んだことない?」
 エ「うん……」
 ク「それじゃあ楽しみにしてなよ。父様の作るチキンスープ美味しいし、飲んだらすぐに元気になっちゃうよ」
 エ「うん……!」
 また笑ってくれたエディの笑顔に、俺は心底ほっとしていた。そして、この時からすでに、無意識のうちにこの笑顔に惚れていた。
 バ「エドガーくんが早く元気になれるように、いつも以上に頑張って作らないとな! 美味しいスープと、体にいいサラダを用意するから楽しみにしていなさい」
 そう言って、父さんはエディに布団をかけ直してやる。
 バ「さ、エドガーくん。薬が効くように、ご飯までもう少しお休み」
 エ「はい……」
 エディの返事を聞いて、父さんがトレーを片付けに行こうとした時だった。
 バ「ん……?」
 エディが、小さな手で父さんの服を掴んでいた。
 エ「ごめんなさい、おじ様……みんなも……もう少し傍にいて……独りにしないで……」
 この時のエディの言葉、そして泣きそうな顔は、いつになっても忘れられない。
 ト「いいよ、独りになんてしないよ」
 最初に答えたのは俺だった。
 ト「な、クリス? 父様、ミハエル?」
 バ「ああ、もちろん」
 ク「うん」
 ミ「うんー!」
 順番に顔を見回して同意を求める俺に、誰一人嫌な顔は見せなかった。
 エ「ありがとう……」
 そう言って、エディは安心したように目を閉じた。

 居場所であるはずの本当の家族が、エディにとっては恐ろしい場所でしかなかった。ただ一人の味方もいないような家で虐待を受け続け、誰にも助けてもらえずに左目の視界を失って……それでもエディは何も、誰も恨まず、憎まなかった。それがこの日――左目の視力を奪われるまで龍魔眼(エルスアイ)の暴走を抑えていた反面、エディの中に、自分は、味方がいない独りの存在なんだと言う恐怖を植え付けた。
 そんなエディが安心して穏やかな寝息をたて始めるまで、俺たち四人は何の不満もなく、エディの傍にいた。そして、エディが寝付いてから父さんは買い物に出かけ、兄貴はミハエルと遊ぶのにエディの傍を離れたが、俺は夕飯に呼ばれるまで、ずっとエディの傍にいて、そっとその手を握っていた。
 その、生きている証であり、そして熱に侵され死に近づいていた証でもあるぬくもりが、何があってもこの子を守ってやるんだという誓いを、俺の胸に抱かせた。

 

 

 2――家族に

 

 エディが家に来て三日が経った。この三日は体調が回復せずろくに活動も出来なかったが、それでもやっとエディの熱は下がり、三日目の夜頃にはベッドから降りて、風呂にも入れるようになった。
 そうして、四日目の朝のことだ。これは、後から父さんとエディから聞いた話になるが……

 

 エ「ん……」
 四日目の朝、エディは早朝五時半に目を覚ました。その頃起きていたのは、五時頃に起きて朝の家事を済ませてくれている父さんくらいだ。
 エ「(起きなきゃ……お父様に怒られる……)」
 時間もわからずにそう思って、エディはハッとする。
 エ「(……! そうだ、ここにはお父様もお母様もいないんだ……)」
 そして、同じ部屋で寝ている俺たち兄弟を見て、穏やかに笑った。
 エ「(みんな、優しくて良い人たち……こんなお家に生まれたかったな……)」
 そう思ったエディは、思わず涙を流していた。
 と、その時。父さんが日課の如く寝室のカーテンを開けに部屋に入ってきた。
 バ「お……もう起きてたのかエドガー」
 エ「あ、おはようございます、おじ様……!」
 父さんに見られまいと思ったのか、エディは慌てて手で涙を拭きとり、あいさつの言葉をかける。
 バ「おはよう。もう少し寝ててもいいんだよ? ほら、こんな朝早く、誰も起きてない……」
 エ「でも、もう一回寝ようとすると疲れちゃうから、もう起きたいなって」
 バ「そうか。そうだね、寝たくないのに寝るのも疲れるからなぁ」
 そう言って、父さんは何か思いついたような顔をした。
 バ「ああ、そうだ。せっかく早く起きたんなら、一緒にボヌールの散歩に行くかい?」
 ボヌールとはうちで飼っているピレニアン・マウンテン・ドッグの名前だ。三日もここで過ごしていれば、エディもうちに犬がいることや、その名前は認知していた。
 エ「ボヌールのお散歩、僕も一緒でいいの?」
 バ「ああ。ご飯の時はエドガーもリビングに来ていてくれたから、ボヌールだってエドガーのことはもう知っていると思うからね。せっかくだから一緒に散歩をして仲良くなってみたらどうかな?」
 エ「うん……!」
 バ「それじゃあ……パジャマのままで散歩に行く訳にもいかないし……トーマスの服を借りようか。ちょっと待っててね」
 そう言って父さんは寝間着と同様に、エディと同い年で体型も同じくらいだった俺の服をエディに貸して、二人でボヌールの散歩に出かけた。

 バ「それにしても、パジャマもそうだけど服もトーマスの服のサイズが合ってるようで良かったよ。ところで、具合はもう悪くないかい? もし具合が悪くなったら、僕でもあの子たちでもいいから、ちゃんと我慢しないで言うんだよ?」
 エ「うん。でも、今は大丈夫」
 バ「そうか、よかった……」 
 この時はまだ若かったボヌールだが、それでも気性は穏やかで散歩のペースも早くない。二人がゆっくりと話をするにはいい時間だった。
 バ「そう言えば、ボヌールの散歩に誘っちゃったけど犬は嫌いじゃなかった?」
 エ「好きだよ、大好き! でも、可愛いなぁって思って動物と遊んだりすると、お父様とお母様に「女の子みたいなことはするな」って怒られたから、今まではあんまり遊んだことなかったの……可愛いのが好きなのは女の子みたいだから、だめだって……」
 バ「そうか……だったらほら、せっかくだからエドガーがリードを持ってごらん?」
 エ「いいの?」
 バ「ああ。ボヌールは優しい子だから、強く引っ張ったりはしないから安心して」
 そう言われ、エディは恐る恐る、しかし嬉しそうに父さんからリードを受けとった。父さんの言う通り、ボヌールはエディを引っ張ることもなく、むしろエディのペースに合わせるように歩き出す。
 エ「本当だ……ボヌール、優しいね」
 バ「だろう? この子も、僕の自慢の家族だからね」
 そう言って、父さんは少し間をおいてから、
 バ「それで、これからどうするかは決められたかな?」
 と、真剣な話を振る。
 エ「これから……」
 バ「うちで暮らすか、ご両親から君を守ってくれる施設で暮らすか……いや、まだ迷っているのなら、もう少し考えながらうちで過ごしてくれてもいいし――」
 エ「あの……」
 そう言って言葉を詰まらせたエドガーは、何かを遠慮しているように見えたと言う。
 バ「何も気にしなくていいよ。エドガーが、誰に気を遣ったりせず、無理もせず、自分で選んだ生き方のお手伝いをさせてほしいんだ。だから……素直な気持ちを聞かせてくれるかい?」
 エ「……。あ、あのね……! 僕、ここで暮らしたい……おじ様と、みんなと家族になりたい……!」
 エディの訴えを、父さんは一つ一つ、丁寧に聞き終える。そして、思わず嬉しさに涙を流してしまった。
 バ「そうか……」
 エ「あ、だ……ダメ……? ごめんなさ――」
 勘違いして泣き出しそうな顔をしたエディを、父さんは思わず抱きしめた。
 バ「違うんだ、嬉しいんだよエドガー……君の求めてくれる居場所が、僕の守ってきた家族にあったなんて……嬉しいんだ……」
 エ「おじ様……」
 そして、エディを放して父さんは
 バ「それじゃあ、散歩が終わったらみんなに言おう。新しいきょうだい、新しい家族ができたって。それと……」
 そう言って、少し照れくさそうな顔をした。
 バ「僕たちの家族に……僕の子供になってくれるのなら……もう、おじ様はやめないかい?」
 その言葉の意味を察して、エディは恐る恐る、
 エ「いいの……? 僕も、みんなと同じように呼んでもいいの……?」
 と聞く。
 バ「もちろんだとも……ほら、呼んでみて……」
 エ「父様……父様ぁ……!」
 今度はエディが父さんに抱きついた。父さんはそんなエディをしっかり抱き返し、エディが思わずリードから手を放したボヌールも、特に逃げ出すこともなく、むしろ二人を見て穏やかにも嬉しそうに尻尾を大きく振っていたという。

 ボヌールの散歩が終わり、父さんは俺たちを起こして、散歩に行く前に用意していた朝食をみんなで食べる。
 ク「エドガー、すっかり顔色良くなったね」
 エ「ありがとう……みんな、ずっと傍にいてくれたからだよ。眠るの怖くなかったんだ。だからもう、たぶん大丈夫」
 ト「そっか、よかった……」
 思わずそう漏らす俺に、エディは笑ってくれた。何度見ても、エディの笑顔は暖かい。
 バ「エドガー、さっき話したことはどうする? 自分で言うかい?」
 エ「えっと……どうしよう……」
 ふいにそんな話を始める父さんとエディに、俺たち兄弟は皆不思議そうな顔をする。
 バ「嫌じゃないなら、僕が話そうか?」
 エ「いいの?」
 バ「ああ」
 快くそう言って、父さんは俺たちを見た。
 バ「クリス、トーマス、ミハエル、今日は大事な話があるからね、ちょっと食べるのをとめてもらってもいいかい?」
 ト「大事な話?」
 ミ「なぁに?!」
 バ「エドガーのことなんだけど……エドガーもみんなの家族として、ここで暮らすことになったんだよ」
 その言葉に、ミハエルはよく意味がわかっていなさそうだったが、俺も兄貴も思わず驚き、
 ト「え!」
 ク「本当に?!」
 と言うと、エディは少し照れ臭そうにうなずいた。
 バ「だけどエドガー、君が家族になるのはもちろん嬉しいことなんだけど、もう一つだけ君に決めてほしいことがあるんだ」
 エ「もう一つ?」
 バ「君は女の子として生まれたけど、ずっと男の子として育てられたと言っていたね?」
 エ「うん……」
 バ「おうちのことを話してくれた時、君は女の子であるとバレてはいけないと、ご両親から厳しく言われてきたと言っていた。だから、それが辛かったのなら女の子として生きてもいいと思うんだ。でも、ずっと男の子として生きてきていて、急に女の子になりなさいと言われても困ってしまうかもしれない。……僕もこの子たちも、君に男らしくなれとは言わないけど、女の子として生まれた男の子として生きてくれたっていいとも思っているし、女の子の家族が増えたっていいとも思ってて……ああ、これじゃあ言いたいことが伝わらないね」
 エ「ううん、大丈夫。なんとなくだけど、わかるよ」
 バ「そっか、ありがとう。そう、それでだ。君は男の子として生きたいか、女の子として生きたいか、それを聞かせてほしいんだ。でも、本当に僕たちは君がどっちを選んだって受け入れるし、君がどう生きるかは、周りの人に言われるのではなく、君が自分の気持ちを大事にして決めるべきだと思っているんだ」
 エ「僕が、決める……」
 バ「そう。君がどう生きたいかは、誰が決めるものでもない。君次第なんだ。難しいことだと思うけど……どうだろう、そのことは心の中に決まっていたりするのかな?」
 そう言われ、エディは少し戸惑いながらも、
 エ「あ、あのね……男の子と女の子、選んでいいなら……僕、このおうちで、男の子として生きたい……」
 すでに決まりかけていた答えを父さんに伝えた。
 バ「そうか……でも、辛くないかい? 男として育てられることは、楽なことじゃなかっただろう?」
 エ「そうだけど……やっぱり、エルスの女の子ではいたくない……それに、父様も、みんなも素敵な人だから……ここのみんなは素敵な男の人だから……だから僕、みんなみたいに素敵な人になりたいから……みんなと同じ男の子として生きていきたい……男として、強くなりたい……!」
 バ「そうか……」
 そう言って、父さんは優しくエディの頭を撫でた。
 バ「無理はしないんだよ? でも、嬉しいよエドガー……この子たちと同じ男として生きたいと思ってくれたこと、本当に嬉しいよ……いいかい? 男の子として、わからないことがあったら僕でも、クリスたちでも遠慮なく聞きなさい。女の子の体で困ったことがあったら、恥ずかしいかもしれないけど、こっそりでいいからちゃんと相談するんだよ? 本当は母様に相談できればいいんだが……もう、うちには母様はいないから……」
 エ「うん、ありがとう父様……!」
 この数日間で俺たち兄弟とエディは、エディが起きている間、ベッドから降りられずに退屈しないようにとたくさんの話をし、夕飯時にはこの数日はずっと家で研究の仕事をしていた父さんともその話を共有していた。その中で、母さんが他界していることをエディは俺たちから聞いていたんだ。だから、父さんはこんな言い方をした。
 それからエディは、何かを思い出したかのようにハッとして兄貴を見る。
 エ「あ、そうだ……あの……クリスくん……」
 結局、今の今までエディは兄貴のことをクリスくんと呼んでいたんだ。
 ク「なに?」
 エ「その……バイロンおじ様がね、父様って呼んでもいいよって言ってくれたんだ……だから、そのね……僕、クリスくんの弟になるから……だからクリスくんのことも、お兄ちゃんって呼んでもいい……?」
 その申し出に、兄貴は嬉しそうに笑って、
 ク「もちろんだよ! お兄ちゃんって呼んでくれるの、すごく嬉しいな。ありがとう、エドガー」
 と言って、それからミハエルを見て、
 ク「そうだ。いいかい、ミハエル? 今日からエドガーくんは、エドガーくんじゃなくて、エドガー兄様だよ?」
 と教えてやる。
 ミ「兄さま? エドガーくんも兄さまなの?」
 ク「そうだよ、エドガーもミハエルの兄様になったんだよ」
 ミ「なったの?! そうなの?!」
 嬉しそうに喜ぶミハエルに、エディは少し照れているようだった。
 ト「でも父様、俺はどうなの? エディと同じだよ?」
 言葉足らずだが、父さんは俺が歳の話をしたいのだとすぐに気付く。
 バ「そうだなぁ……だったら、双子になってしまえばいいんじゃないか?」
 ト「えー、双子って同じ日に生まれなきゃダメじゃん」
 バ「いいじゃないか。周りには双子と言うことにして、本当のことは家族だけの秘密だ。よし、そうだ! トーマスとエドガーは今日から双子の兄弟だ!」
 エ「双子……そうしたら、トムがお兄ちゃん?」
 数日間の様々な会話の中には誕生日の話も出ていて、俺の方が少しだけエディよりも誕生日が早かったことを知ったんだ。
 バ「そうだな。トーマス、今日からはミハエルとエドガー二人の兄様だぞ? しっかりできるか?」
 ト「できるよ! 任せて!」
 バ「そうか! さすがだな、トーマス!」
 父さんは少し大げさな感じもしたが、俺をそう褒めてくれた。それがすごく嬉しかった。そんな俺を父さんも嬉しそうに見てくれた後、父さんは再びエディに向き直る。
 バ「エドガー……君はきっと、生まれる家を間違えて五年間の間迷子だったんだ」
 父さんのこの言葉、考え方が、エディを他人から家族に変える……
 バ「だから、ようこそなんて言わないよ。……おかえりなさい、エドガー」
 エ「……ただいま、父様!」

 俺は今でも、その時のエディの幸せそうな笑顔を忘れていない。

 

 

 3――龍魔眼(エルスアイ)と十字傷

 

 エディが家族になってから、父さんは仕事でもある研究の合間を見ていろいろとエディのために動いていた。

 実の両親から逃げ出したエディを家族に迎えるための手続きとか、本当は女だけど、女としての生き方を知らない五年間は子供にとって長すぎるとして、これからも男として生きてもいいような手続きとか、他にも、視力を失った左目が痛まないようにするために必要な通院とか……ガキの頃はもちろん、正直今でも詳しくはわからないようなたくさんの手続きを、父さんは手間を惜しむことなく終わらせてくれた。そのおかげで、エディが安心して家族として過ごせる環境は早い段階で整った。

 それでも最初の内はどこか遠慮がちな言動が多く、実の両親の影響か、自分が悪くなくてもすぐに謝ってしまうことが目立つエディだったが、少しずつ、少しずつ……エディはミハエルや俺と一緒に子供らしく笑えるようになり、父さんや兄貴に甘えられるようになっていった。

 そんな中で、エディがアークライトの家族になってから気付けば半年が経とうとしていた。

 

 その日、父さんは研究が休みの日だったから、俺たち兄弟を連れて遊びに出かけていた。

 その帰り道での、車中でのことだった。

 エ「……――!」

 窓の外を眺めていたエディが急に何かに驚いて、隠れるように身を低くした。

 ト「? どうしたんだよエディ」

 エ「お……お父様……エルスのお父様……!」

 ト「え……?」

 怯えるような小さな声だった。だからこの時、俺はエディが何を言ってるのかがわからなかった。

 ク「どうしたの? ……エドガー?」

 助手席に座っていた兄貴もエディの様子がおかしいことに気付き、後部座席の俺たちを覗き込む。

 エ「今……外にエルスのお父様がいたの……!」

 ク「エルスの……!?」

 今度の言葉は隣に座っている俺はもちろん、前の座席の兄貴や父さんにもしっかりと聞こえた。

 バ「……大丈夫だよエドガー。大丈夫だから、家に着くまでは窓の外は覗いちゃだめだよ」

 エ「うん……」

 冷静にもどこか強めの口調でエディにそう伝えた後、父さんは違反しない程度にスピードを出し、車を急いで走らせた。

 家に着くまでのその間、俺は怯えるエディにかけてやる言葉が見つからず、ただ、怯えて震えるエディの手を握ってやることしかできなかった……

 

 家についた頃、エディはだいぶ落ち着いてはいたが、それでも出かける前と比べると明らかに元気がなかった。

 ク「エドガー、大丈夫……?」

 エディの様子を心配していたのは兄貴も一緒で、どう言葉をかけていいか悩んでいた俺に代わるように、控えめにもそう声をかけた。

 エ「……。来ないよね……エルスのお父様とお母様、ここに来ないよね……僕のこと、連れ戻したりしないよね……?」

 兄貴の声かけに少しだけ間をおいて答えたエディの声は震えていた。

 ト「来ないよ! 来たって……来たって追い返してやる! なあ?」

 兄貴に同意を求めると、兄貴も力強くうなづいてくれた。

 ク「そうだよ。エドガーが会いたくないなら、うちに来たって絶対にエドガーには会わせない。だから安心してよ」

 エ「うん……」

 それでもエディは、その顔に不安の色を浮かべたままだった。

 バ「大丈夫だよ、エドガー。エドガーは父様の大事な息子なんだ。平気で君を傷つけるようなエルスのお父様やお母様の元には、絶対に連れ戻させたりしない」

 エ「……ありがとう、父様」

 そう言ったエディの顔にはまだ、父さんを信頼する気持ちと、どうしようもなく実の両親を恐れる気持ちが入り混じっているように見えた。

 ミ「ねえ、エドガー兄さまどこか行っちゃうの? やだ、行かないで兄さま!」

 今まで話に入ってこれなかったミハエルが、事情はわからずとも直感的にエディが遠くに行ってしまうと感じたのか、急にぐずりだした。本気で寂しそうな、悲しそうな顔をして訴えるミハエルを見て、エディは今日家に帰ってから初めての笑顔を見せた。

 エ「大丈夫、どこにも行かないよ。僕もずっとここにいたいもん」

 ミ「本当? 本当にどこにも行かない?」

 エ「本当だよ。ありがとう、ミハエル」

 ミ「……? うん!」

 なぜ礼を言われたかはわからなかったようだが、エディが笑っていることに安心したのか、ミハエルも笑ってうなずいた。

 エ「ごめんね、変なこと言って。でも、大丈夫だよね。僕、もうアークライトの家族だもんね、アークライトの男の子。エルスの女の子じゃないもんね……」

 それから、重苦しかった空気はいつの間にかいつも通りに戻ったように思えた。

 だけど……まるで自分に言い聞かせるような口調、いつもとどこか違って見える笑顔。俺には、この時のエディが無理に強がっているように感じた。そして、当たってほしくなかったその予感は皮肉にも的中していた。

 

 夕食を終えてからも、エディはみんなを心配させまいとして平静を装っていた。そんなエディが見せる姿を信じてやりたがったが、どうしてもエディが無理をしていると思えてならなかった俺はいつも以上に、就寝の時間までエディの傍にいようとした。そして何度かそっとエディの手を握って、少しでもエルスの両親への恐怖が和らいでくれるように祈っていた。その祈りが意味のないものだと、この時は知ることも出来ずに……

 

 ト「手、握って寝ようぜ?」

 就寝前、父さんがいつものように俺たちをベッドまで連れて、就寝の挨拶をして寝室を出た後、俺は隣で寝ようとしているエディにそう言った。

 エ「え? ……いいの?」

 エディは戸惑いながらも、理由も聞かなければ、断ることもしなかった。

 ト「いいよ。ってか、俺が握ってたい」

 そう言って布団の中でエディの方へ手を伸ばすと、エディの手が力なくも俺の手を握ってきた。

 エ「ありがとう……」

 まだ、いつもの笑顔とは言えなかった。それでも、エディは笑ってくれた。

 ク「楽しいことを考えて寝よう? そうしたら怖くなくなるよ」

 エ「うん」

 兄貴も、寝る直前までエディのことを気にかけていた。ミハエルだって、夜はいつも俺たちよりも早く眠くなるから今日も先に寝ていたが、それでも起きている間はずっとミハエルなりにエディを励まそうとしていた。

 エ「トムもお兄ちゃんも、今日はありがとう……元気出たよ」

 ク「本当? だったらよかった」

 エ「うん。やっぱり、みんなと家族になれてよかった。もう大丈夫だと思う。うん、大丈夫……」

 そう言って、エディは目を閉じる。それを見て、上半身を起こして俺たちを見ていた兄貴も枕に頭を預けた。

 ト「エディ、無理するなよ? 怖かったら怖いって言えよ? 俺が絶対守るからな」

 俺も寝ようと思いつつ、すでに寝ようと目を閉じていたエディにそう言った。

 エ「……ありがとう」

 エディは目を開けてそう言って、また目を閉じた。

 ……たった一言、その言葉が震えていたような気がした。

 

 目を閉じて眠りにつく時、次に目を覚ます時にはいつものように朝が来るものだと思っていた。だが、その日は違った。

 それは夜と朝のちょうど真ん中。まさに夜明と言うにふさわしい時間の出来事だった。

 エ「~~……! ~~……!!」

 ト「ん……?」

 エディの声が聞こえた気がして、俺は目を覚ました。

 ト「(エディの声……? 泣いてる……?)」

 何か、胸騒ぎを感じて隣で寝ているはずのエディを見てみると、エディはベッドの上に座り込み、両手で左目を抑えながらうめき声のような、言葉にならない声を出して苦しんでいた。そして、顔や首、手――寝間着に隠れていない肌が見える部分全てを、闇のような恐ろしい色に光る痣が、エディの体を締め付けるかのように浮かび上がっていた。

 ト「なんだよ、これ……! おい、エディ! 大丈夫か?! エディ!!」

 どう見たって異常なその姿。直感的に呼び止めないといけないと思った俺は必死になって声をかけたが、返答は返ってこなかった。

 さらに声をかけようとしたその瞬間だった。

 ト「うわ――!」

 見えている肌の部分だけじゃない、寝間着に隠れた肌に刻まれた痣までがはっきりと見えるほどにエディの全身の痣が禍々しく光を放ったかと思うと、気付けば俺は他の家族と同様に寝室の壁に叩きつけられていた。

 何が起こったのか、その時に理解など到底できなかった。

 衝撃に耐えた俺が見たのは、エディがいるはずの場所から絶えず放たれ続ける、龍のような形をした闇色の波動だ。

 バ「な、なんだ?!」

 突然の衝撃に、父さんも兄弟たちも目を覚まし驚く。そんな中でも父さんは咄嗟に部屋の中を見渡し、波動が放たれ続ける部屋を壁沿いに移動して、訳もわからずに泣きじゃくっているミハエルの元へと急いだ。続いて俺や兄貴、エディを探そうとしてくれる父さんの元に、俺と兄貴は自力でたどり着く。そして父さんは、たった一人傍にいない我が子――エディを探そうとして気付いた。この異常な波動の出所に、エディがいることに。

 今はエディに近づくことは難しいと感じた父さんは、ひとまず俺たち三人を連れて、放たれる波動から一番距離を置ける部屋の隅まで移動する。

 バ「これは……一体どうなってるんだ……? まさか、エドガーがやっているのか……?」

 ト「わかんないよ……でも、あいつ体に変な模様出てて……それに、ああなる前にすごい苦しそうに泣いてた……」

 そう、エディは泣いていたんだ。他の人間にはただ苦しんでいるだけに聞こえたかもしれない。でも、俺にはエディのあの声が……助けを求めて泣いている声に聞こえたんだ。

 ク「変な模様……?」

 俺の話を受けた兄貴は、父さんと一緒にミハエルや俺を庇うようにしながらも、俺がずっと見ている先を見た。そこには、禍々しく光る痣を全身に浮かばせ、苦しげに両手で抑えられている左目と思われる部分から今もなお龍の形の波動を放っているエディがいた。

 ク「本当だ……」

 兄貴がエディの様子を確認したとほとんど同時だった。俺は気付けばエディの元へと走り出していた。

 ト「エディ!!」

 エディに泣き止んでほしくて。俺が傍にいることに気付いてほしくて……そんな気持ちが抑えきれなくなり、後先なんて考えずに俺はエディの元に向かったんだ。

 ミ「あ、兄さま!」

 ク「トーマス!」

 バ「戻りなさい、トーマス! トーマス!!」

 家族が心配し、俺を呼ぶ声は聞こえていた。聞こえていたが、父さんたちの元に戻ろうとは思わなかった。一秒でも早く、エディの傍に行きたかった。

 エディから放たれる龍の姿をした波動は、波動の出所と思われる左目を抑えたエディの両手は決して傷付けない。エディの両手をすり抜け、エディ以外の全てを傷付けようと暴れだす。そして、幼く小さな俺の体を何度も何度も容赦なく叩きつけ、斬り付けようと襲い、エディに近づくことを阻んだ。

 波動が体にぶつかる度に、激しい痛みを覚える。息苦しさも感じる。それでも俺は、エディの傍に行くことしか考えなかった。

 ト「(あと少し……少しなんだ……! こんなの……!)」

 小さな体をさらに小さく屈めて、両手の爪を立てて毛足の短いカーペットを掴み、僅かでも波動の影響を受けないように踏ん張りながら、少しずつ、少しずつ、確実に俺はエディの傍に近づいて行った。

 ト「エディ! エディ!! おいエディ!!」

 父さんたちの元を離れてから、俺はずっとエディの名前を呼んでいた。だがその声のほとんどは波動が空を切る音にかき消されていたのだが、エディのいるベッドにかなり近づいて叫んだこの声が、遂にエディに届いた。

 エ「……! トム……?」

 両手で左目を抑え、何かに怯えるように右目を固く閉じていたエディが、俺の声を聞いて顔を上げ、右目を開けた。

 だが、やっと声が届いたことに安堵した瞬間にエディが放った言葉は俺の意に反したものだった。

 エ「ダメ、離れて!!」

 一瞬、なぜ拒まれたかがわからなかった。だが、直感的に感じた。エディは俺のために言っているのだと。そう感じたからこそ、エディの言葉は受け入れられるものではなかった。

 ト「嫌だ! 守るって決めたんだ! お前のこと、家族になった時から……お前のこと見つけた時から守るんだって決めたんだ! 離れるもんか!!」

 今エディから離れたら、もう二度とエディに近付けない気がした。だから、俺は力の限りにエディを抱きしめた。

 エ「!」

 今までで一番強く龍の波動を受けたからだろうか。それとも、エディとの距離が近すぎたからだろうか。この時、エディを支配する感情が何なのか、はっきりとわかった――

 日中見かけてしまったエルスの父親。その影が呼び起こす、痛みと苦しみだけの記憶。そして、その記憶が生み出した、エルスの両親の悪意に満ちた悪夢……

 エディは悪夢にうなされながら、エルスの家にいた頃の「苦しみから誰にも助けてもらえなかった孤独」に怯えていた。

 そして今、制御の出来ない自らの力によって「孤独から救ってくれた家族を失ってしまうかもしれない恐怖」に怯えていた。

 エディは……そんな孤独と恐怖に怯え、泣いていたんだ。

 ト「俺がいるから!! 泣くなよ、怖がるなよ、大丈夫だから!!」

 波動による痛みが増していく。それでも、俺は強くエディを抱きしめ続けた。

 目の前で泣いている、血の繋がらない弟を独りにしてはいけない……いや、弟でなくてもいい。関係なんてどうでもいい。目の前の、エドガー・アークライトという存在を独りにしてはいけない――その思いが、波動の痛みに襲われ続ける俺を奮い立たせていた。

 エ「ダメ、離してよ! 僕といたら、みんな死んじゃうよ……! 離れないと、トム死んじゃうよ!! だから離して!!」

 ト「やだ! 離さねぇ!!」

 エ「やだよ……トム死んじゃうよ、いなくなっちゃうよ……! 僕、独りになっちゃうよ……」

 俺は、エディを抱く腕を離さなかった。

 エ「やめてよ!! 独りにしないでよぉ!!」

 ト「――しないよ……」

 痛みと共に襲ってくる息苦しさに耐え、俺はそう口にした。

 やっとの思いで口にした、傍にいても聞こえるか聞こえないかという小さな声。それでもエディは、俺の言葉を受け止めてくれていた。

 エ「……!」

 まだ波動は放たれている。だが……その勢いは明らかに弱まっていた。

 ト「ずっと一緒だから……絶対守るから……だから、泣くなよ……」

 波動が弱まった僅かな時間、エディが再び孤独と恐怖に襲われるその前に、今この場でエディに必要な言葉を思いつく限り繋ぎ合わせ、そして伝えた。

 エディが自力で気持ちを静めたのか、それとも俺の言葉を受け入れてくれたのかはわからない。だが、気付けばエディの全身を蝕んでいた痣は消え失せ、左目から放たれていた龍の波動は完全に収まっていた。

 ト「(良かった……エディ、泣き止んだ……)」

 もう大丈夫だと思い、エディを抱きしめていた腕を放してその顔を見ようとした。だが安堵した拍子なのか、顔の右側に痛みが集中したことを感じて俺は咄嗟に顔の右半分を抑えてしまった。その行動がエディを心配させたなんて思いもせず、顔の右半分を抑えたままにエディを見ると、先ほどとは違った様子で、しかしまた泣き出しそうな顔をしていた。

 ト「なんだよ、まだ泣きそうな顔してんじゃん……泣くなって言ったのに」

 どうなっているのかわからない顔の右側が痛かったが、そんなことよりもエディに笑ってほしかった。だから、痛みを誤魔化すように笑ってみたが、エディはいよいよ、再び泣き出してしまった。

 エ「だ、だって……トム、怪我……血がいっぱい出てる……僕のせいで……」

 言われて、顔を抑えていた手を離して見てみると、確かにかなりの量の血で濡れていた。それでも、今は自分の怪我よりもまた泣き出してしまったエディの方が気がかりだった。

 ト「ち、違うって! エディのせいじゃないから! だから……だからもう泣くなって……」

 エ「ごめんね……ごめんねトム……ごめんね……!」

 ト「いいよ、大丈夫だから謝るなって……」

 こんなことを言ったってエディはきっと泣き止まない。だったら、どんなことを言えばいい? 俺は必死にそう考え、そして一息つく。

 ト「……。いいかエディ? 俺、本当に平気だからさ。こんな怪我より、お前が怖い気持ちでいっぱいになって泣き続ける方がずっと嫌なんだ。だから、これからまた怖い気持ちになったりしたら俺に言えよ? お前は俺が絶対守ってやるんだからな……」

 顔の怪我が見えないように、エディをもう一度落ち着かせるように、俺はまたエディを抱きしめた。伝えた言葉の通り、何があってもエディを守るという強い誓いの意味を込めて、強く抱きしめた。

 エ「うん……」

 エディも、俺の気持ちを受け止めるかのように、完全に落ち着きを取り戻して俺の言葉にうなづいた。

 バ「トーマス! エドガー! 大丈夫か!?」

 放たれ続けた波動から兄貴とミハエルを守っていた父さんも、エディが落ち着いたことを確信して急いで俺たちの元へと駆け寄ってくれた。父さんに続いて、兄貴もミハエルを連れて駆けつけてくれている。

 ト・エ「!」

 そして父さんは、俺たちの返答も待たずに二人まとめてその腕に抱きしめてくれた。

 バ「良かった……生きていてくれて良かった……!」

 父さんの声は震えていた。だけど、そんな父さんの腕の中はとても暖かくて、俺はまた傷の痛みを忘れていた。

 エ「ごめんなさい……! 父様、ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

 バ「謝ることなんかあるか……何も悪くないのに謝らなくてもいいと、いつも言っているじゃないか……」

 エ「でも……でも、トム怪我しちゃった……! 血がいっぱい出てるの……!」

 そう言いながら、エディは父さんの腕の中ですぐ隣にいる俺の顔を見る。すると父さんも慌てたように、俺たちを抱きしめていた腕を放して俺の方をよく見ようとする。

 バ「怪我だって――」

 ト「へ、平気だよ! もう平気……」

 最初は、父さんがエディを責めたら嫌だと思って、父さんの言葉を遮ってまで言葉に勢いを乗せてしまった。だが、平気だと口にしてみて気付いた。 

 ト「痛くない……痛くないよ、ホントだよ!」

 俺が嘘をついていないことくらい、父さんはわかっていた。疑うのではなく確かめるように、咄嗟に怪我を隠そうとして顔に当てた俺の手を優しく掴み、降ろさせる。

 バ「少し触るよ? 痛かったら言うんだぞ?」

 そう言って、父さんはそっと俺の顔の右側を触った。触られた部分は全く痛くなかった。

 バ「痛くないかい……?」

 ト「うん、大丈夫」

 本心からそう言って、自分でも自分の顔を触ってみて驚いた。もう血は出ていなかったどころか、まるでずっと昔にできた古傷のように、顔の右半分、頭から首にかけて十字に裂けたような痕の感触はあったものの傷は塞がっているようだった。

 ミ「兄さま、痛いの?」

 いまいち話を把握していないミハエルが心配そうに訊いてくる。背が低くベッドの下から俺やエディを見上げるミハエルには、俺の寝間着や周りのシーツについている俺の血は見えていないようで、なんで痛いか痛くないかという話をしているのかがわからないようだった。

 ト「痛くないって」

 エ「ホントに……?」

 ト「ホントだって」

 ク「嘘じゃない?」

 ト「嘘じゃねえって!」

 兄弟が次々に痛くないか、嘘じゃないかと聞いてくるものだから、ついムキになって怒鳴った時だった。

 エ「よかった……」

 小さな声でそう言って、エディが笑った。

 ……やっと、笑ってくれたんだ。

 ト「……?」

 エディの顔を見て俺も安心した時、ふいに父さんが、今度は俺だけを抱きしめた。

 ト「父様?」

 バ「ありがとう、トーマス……エドガーを守ってくれてありがとう……」

 この頃、俺たちは当然、父さんでさえも龍魔眼(エルスアイ)のことなど何も知らなかった。だから父さんにも俺にも、俺の行動が龍魔眼(エルスアイ)の暴走を止めたという絶対の確信があったわけでもない。それでも、父さんの言葉と抱擁を否定する気など起きるはずもなかった。

 ト「……うん」

 ただそれだけ言って、俺も小さな両腕で父さんを抱き返す。

 父さんの暖かな抱擁の中で、俺とエディの無事を安心してくれた兄貴とミハエルの視線の先で、俺はエディと家族を守ることが出来たという実感を感じていた。そして、これからも俺がずっとエディを守っていくんだと……そう、強く決意を固めた。

 

 

 4――約束のドラゴン・メカニズム

 エディが龍魔眼(エルスアイ)の力を暴走させた翌日、俺は父さんの研究所で顔の傷を診てもらっていた。新しい皮膚も出来ていて既に完治しているも同然の状態ではあったが、流血を間近で見たエディや、傷の大きさや俺の寝間着についていた血を見て出血の多さを推し測った父さんがひどく心配したからだ。

 だが、通常ではありえない早さでの治癒と、この頃はまだ正体がわからなかった波動が怪我の原因であること……これらの点から、病院に行っても意味はないのではないかと父さんは考え、表向きの科学的には不可解な力の分析の出来る、先史遺産(オーパーツ)の研究機器もある研究所で傷を診ることにしたんだ。

 結果的に、怪我としては何の心配もない状態だった。だが、それ以外にもこの時にわかったこと、考察できたことがいくつかあった。

 一つ。俺の傷痕に、僅かにこの世界のものではないエネルギーの反応が残っていること。

 一つ。エディの左目が、俺の傷痕に反応が出ているものと同じエネルギーを常に発していること。

 さらにもう一つ。エディの左目から発せられるエネルギーは、俺の近くにいると弱まる――というより、俺の左隣にいる時よりも右隣にいる時の方が力の弱まりが大きいことから、おそらくは俺の傷がエディの左目のエネルギーを弱めていること……事実としてわかったのはこれらの点だ。

 そしてエディが、エルス家が繁栄を始めた頃から唯一存在を認められたと言えるエルスの血を引く女児であることから、エディの左目が発するエネルギーと昨晩暴走した波動の力がこそ、エルス家出身の女がある時期からぱたりといなくなった理由と関係しているのではないか――

 あくまでこの時の父さんの専門分野は先史遺産(オーパーツ)の研究であり、まだアストラル世界やバリアン世界などの存在がはっきりとは解明されていなかったこの頃に研究所でわかる事実には限界があったが、今回の出来事で父さんはそう考察した。

 力の放出が完全に収まってからも、エディはずっと申し訳なさそうに、またすぐにでも泣きそうな状態だったが、無論俺たち家族は誰一人として、あの波動こそ恐れてもエディ自体を恐れることはなかった。そのことに安心し、感謝するエディだったが、それでもやはり得体の知れない力を持っていること、そしてその力で家族を傷付けてしまうかもしれないことをひどく恐れていた。

 そんなエディに、父さんは自信を持って言ったんだ。

 「大丈夫だよ」と。

 そして俺にはこういった。

 「その傷は、エドガーを助けた大事な証だ。きっとその傷と、傷を負ってまでもエドガーのためにあの力に立ち向かったトーマスの勇気が、これからもエドガーを守ってくれる。だから、出来る限りエドガーの傍にいてあげて欲しい」と。

 父さんの言いつけがなくたって俺はエディの傍で支えてやりたいとずっと思ってたし、そうでなくとも、兄貴以外は兄弟三人共まだ未就学の年齢で普段から家にいることが多く、兄貴も学校ではなくホームスクーリングで勉強をしているから俺たち同様に家で一緒にいることが多い。だから自然と、俺は父さんの言いつけを守るように、兄弟と共にエディの傍に出来る限りいてあげられる状態だった。

 

 そうして過ごしていくうちに、あの晩夏の雨の日にエディが家族になってから季節は一周しようとし、また新しい夏が始まっていた。俺の十字傷が出来てからそれまでの間、エディの左目が異変を見せることはなかった。

 ト「父様、ちょっといい?」

 そんな夏の日のある夜、キッチンで夕飯を作っていた父さんに俺は兄弟たちに見つからないように近づき、声をかけた。

 バ「どうした、トーマス?」

 ト「あのさ、エディの誕生日ってあとちょっとだよね?」

 バ「ああ、そうだよ。エドガーの誕生日はもう来月だけど、よく覚えてるね」

 この時の俺は六歳になって間もなかったが、父さんや兄貴が、俺やエディにもわかりやすく教えてくれていたおかげで、年齢の割には早く、大雑把ではあるが曜日や年月の感覚を覚えていた。だからあと一ヵ月ほどでかつてエディが話してくれた誕生日が来ることを理解していた。

 ト「誕生日に、エディにお守りをあげたいんだ」

 バ「お守り?」

 ト「うん」

 答えて、俺は自分の顔の十字傷を触る。

 ト「この時さ、エディに言われたんだ。エディから離れないとみんな死んじゃう、そうしたら独りになっちゃうって。それから、独りにしないで、って……そう言って泣いてた」

 傷を触りながら話す「この時」というのが、龍魔眼(エルスアイ)が暴走した夜明のことだと、父さんもわかってくれる。

 バ「そうか……ああ、そうだよな。あの子はエルスの家では助けてくれる人が誰もいなかった。ずっと独りだったんだ……今もずっと、独りになることを怖がってしまっても仕方ない……」

 ト「うん。だからさ、あの時「ずっと一緒だよ!」って約束したんだ。その約束を、見たらいつでも思い出せるお守りみたいなものをあげたいんだ」

 バ「そうだな、それは良い考えだね。エドガーも喜んでくれるよ。ああでも、誕生日まで渡さなくていいのかい?」

 ト「あんまりエディにだけ特別なことすると、本当は兄弟じゃないから、可哀そうだから優しくしてるって思うかもしれないじゃん。それにミハエルもずるいって言いそうだしさ。だから誕生日までは何もあげないんだ」

 バ「そうか。いろいろと考えてて偉いぞトーマス。それじゃあ父様も何が良いか考えておくから、次のお休みに二人で用意しに行こうか」

 ト「うん!」

 父さんとそう約束し、父さんの次の休みの日に二人でエディの誕生日プレゼントとなるお守りを用意しに行くことになった。エディにはもちろん、ミハエルやクリスにも内緒でだ。

 

 予定が決まると、あっという間にその日が来る。父さんに相談してから数日経ち、二人で出掛ける日となった。

 その日になっても、俺は何がいいかと考えた挙句「お守り」ということしか思いつかなかったが、俺の意見を聞いてから父さんは何がいいか思いついていたようだった。

 子供が四人もいれば、その中の誰か一人と父さんだけが出掛けることもたまにある。だから俺と父さんだけが出掛けるということ自体は怪しくない。だが、家の中で、俺と二人でどこに行くと話してしまうと他の兄弟に気付かれてしまうと思ったのか、父さんは車に乗るまでは何をプレゼントに思いついたのかを教えてくれなかった。

 バ「それで、トーマスはエドガーのプレゼントは何がいいか思いついたかい?」

 車に乗って、エンジンをかけながら父さんが聞いてくる。

 ト「えっと……やっぱり、お守り……」

 それ以上の案がなかったことが恥ずかしかったり申し訳なかったりして小声になる。

 バ「そうだな、やっぱりお守りがいいな。そうしたら、お守りにぴったりな石がたくさん落ちている場所を父様知ってるから、そこでエドガーが喜んでくれそうな石を探そうか?」

 ト「石?」

 バ「ああ。ドラゴン・メカニズムって呼ばれてる石があってね、石の中に龍の目があるんだ」

 ト「龍の目! すげぇ!」

 バ「そう、それがすごいんだ。その目が、持ってる人に近付く悪いものを追い払ってくれるんだよ。それに龍の目の他にも、ドラゴン・メカニズムには鉄の輪が入っていて、龍の目で追い払えなかった悪いものからもその鉄の輪が守ってくれるんだ。どうだろう、トーマスが考えてたお守りになりそうかな?」

 ト「うん! やっぱ父様、なんでも知っててすげぇ!」

 バ「はは、ありがとう。それじゃあ、お守りにするドラゴン・メカニズムを探しに行こうか」

 ト「うん!」

 こうして俺と父さんは、兄弟たちには適当に買い物に行くと伝えて、ドラゴン・メカニズムが採れる河原まで向かった。

 

 昼前に家を出て昼頃には目的の河原についたのだが、結論から言うとプレゼント用の石をやっと見つけたという時にはもう夕方になっていた。

 いや、石は探さなくともそこらに落ちていた。何しろドラゴン・メカニズムは原石から成る鉱石ではなく、この場所の特殊な環境に長い時間さらされた石が変化して内部が紫色に透き通り、さらにその中に特徴的な龍の目と鉄の輪に見える物質を生成することで出来る鉱石だからだ。だから小石だらけのこの河原に落ちている石はほぼ全てがドラゴン・メカニズムであり、俺にとっての目当ての物だったんだ。
 鉱石が出来上がる過程に環境が関係するためか、ドラゴン・メカニズムはこの河原でしか採れないという。だが、採取場所が限られるという希少性とは裏腹に、一般的な宝石やパワーストーンと比べて地味であり世間的に知名度も高くないため、この石を求めて各地から人が来る……なんてことはない。
 この日、石マニアなのかパワーストーンを扱う業者なのかは知らねえが数人は石を拾いに来る奴もいたが、さっさと石を拾って帰っていくそいつらとは違い、俺は父さんに見守られながら長い時間、落ちている石一つ一つを拾っては戻してを繰り返していた。
 バ「お、それなんかいいんじゃないか?」
 時折俺にそう声をかけてくる父さんだったが、俺はなかなか父さんの言葉にうなずかない。
 ト「ダメ! ここが欠けてる」
 バ「ああ、本当だ。それじゃあダメだね」
 他の石を拾った時も、
 バ「それはダメかい?」
 ト「うん、なんかちょっと長い。もっと丸いのがいい」
 と、この調子だ。
 バ「なあトーマス。どうせ中の綺麗な部分を出すのに表面は削るんだから、少し大きめの石だったら後で父様が綺麗な形に削ってあげるられよ?」
 見かねてそんな提案をしてくれる父さんだったが、
 ト「やだ! 最初から綺麗なヤツを探す!」
 と、この時の俺は聞く耳を持たなかった。
 そんなこんなで、さすがの父さんも俺のダメ出しに苦笑しだした夕方頃だった。いつの間にか落ちた陽のオレンジ色の光を浴びて、一つの石が輝いた気がした。
 加工前のドラゴン・メカニズムは表面に層があり、普通の石と変わらない見た目だ。だからそれは本当に「気がした」だけなのかもしれない。だけど、あの時――雨の中で、聞こえるはずもなかったエディが倒れる音が聞こえた気がした時と、似た感覚を覚えた。
 そっとその石を拾い上げて、夕日にかざす。自然の物とは思えないほど綺麗な丸い形が夕日のオレンジをその身に受けている。そんな石を見つめていると、不思議と、まだ見えるはずのない龍の目が見えた気がして、全ての不安な気持ちが消えていくような気分になった。
 これだ、と。その直感を手放す前に俺は石を持ったまま父さんの元に駆け出していた。
 ト「ねえ見て父様! これにする!」
 バ「これは……すごいな、初めからこんなに綺麗な形のドラゴン・メカニズム、よく見つけられたね!」
 父さんによると、アクセサリーにするために人為的に削って綺麗な球体にしたドラゴン・メカニズムは店頭などでもよく見るらしいが、原石の状態でここまで綺麗な形で落ちている石は、ドラゴン・メカニズムに限らずとても珍しいとのことだった。
 バ「頑張ったかいがあったな、トーマス。エドガーも絶対に喜んでくれるよ」
 ト「うん!」
 たまの休みを俺のために使ってくれたにもかかわらず、父さんは疲れも見せず、嫌な顔もせず、本当に優しく俺の頭を撫でてくれた。
 それから俺と父さんは家に帰るまでの間、車の中で、拾った石をどんな形にしてエディにあげるかを相談し合い、結果としてエディの誕生日までに父さんが石に紐を通してペンダントにしておいてくれるということになった。本当のことを言えばその過程まで俺が自分でやりたかったが、さすがの父さんも子供には危ない作業だと言って譲ってくれなかった。

 

 それから、父さんは兄弟たちにはバレないようにと、毎回俺たち子供が寝てから作業を続けてくれた。
 そしてエディの誕生日の数日前、俺は一人、父さんの部屋に呼ばれていた。

 バ「どうだろう? トーマスがせっかく綺麗な石を見つけてくれたから、無駄にならないように頑張ってみたんだけど」

 そう言って父さんが見せてくれたのは、綺麗な球体の形をそのままに、小さな穴をあけられ紐が通されたドラゴン・メカニズムのペンダントだった。

 ト「すごい……! すごいよ父様! すごく綺麗!」

  それは本当にすごかった。
 紐を通す穴は本当に小さく、しかしその穴の表面は紐の通りがいいように丁寧に処理がされていて、紐のどこを持っても自然と石が滑って真下まで下りてくる作りとなっていたし、首にかける用の紐だって、エディが成長して紐が短く感じた時に紐ごと付け替えなくてもいいように、長めの紐を特殊な留め具で長さを調節できるようにしてくれていた。
 何より……石の色を出すために表面を削れば、多少は元々の綺麗な形は損なわれるだろうと思っていた俺の予想に反して、丁寧に外側ギリギリを削られたその石は、大きさも形も、父さんに預けた時となんら変わらずに内面に閉じ込められていた龍の目を現わしていたんだ。

 バ「あとはこのペンダントに、エドガーのことを守ってくれるようにって気持ちを込めたら完璧じゃないかな」

 そう言って、父さんはペンダントを渡してくれた。それを受け取り、俺は父さんの「気持ちを込めたら完璧」という言葉を受け、ペンダントを両手で握りしめて祈るように目を閉じた。

 ト「(俺も強くなるから。エディの傍にいて、エディのこと絶対に守れるように強くなるから……だから、お守りもエディのこと守って……俺が傍にいるってエディが忘れそうになった時、思い出させて……)」

 そして、再びペンダントを父さんに差し出す。

 ト「父様、誕生日までもうちょっと隠してて! 絶対に見つかっちゃダメだからな!」

 兄弟に内緒にしておくには、俺がペンダントを持っているのは得策ではない。当時俺たちが住んでいた家の子供部屋は全部で二部屋あった。その一部屋を兄貴が、もう一部屋を俺とエディが一緒に使っていて、まだ年齢的に自室が必要ないミハエルはいずれ兄貴と同じ部屋を使うことにして、この頃は遊びたい兄がいる部屋を気ままに行き来していた。だから子供部屋はペンダントの隠し場所には向いてなかったんだ。

 寝室もこの頃はまだ家族一緒に寝ていたために子供部屋以上にペンダントを隠すのは難しい。だから、石の加工の際にもずっと兄弟たちに内緒にできていた父さんにもう少しの間の保管も頼んだんだ。

 バ「ああ、わかったよ。エドガーの誕生日までしっかりと預かっておくよ。約束だ」

 ト「うん! ありがと、父様!」

 こうして、今もエディが大切にしてくれているペンダントが出来上がった。数日後のエディの誕生日、このペンダントを渡してあげられる時がただ楽しみで仕方なかった。

 

 そして迎えた、アークライト家では初めてのエディの誕生日。

 最初、初めて家族から祝われる誕生日にエディは戸惑っていた。だが、「誕生日は嬉しい日であるのが当たり前なんだよ」と教えてくれた父さんの気持ちを無駄にしないようにと思えたのか、家族誰かの誕生日には恒例になっている豪華な夕飯を食べ終わる頃には、家族になりたての頃のような遠慮などせずに素直に誕生日を楽しめたようだった。

 俺はというと、夕食を終えてリビングで談笑している今の今までペンダントを渡すタイミングをなかなか掴めずにいて、楽しんでいるエディに安心しつつも内心で焦っていた。父さんはそんな俺の様子を見ながらも理由を知っているために何も言わないでくれていたが、事情を知らない兄貴とミハエルは違った。

 ク「トーマス? なんだか落ち着かないね」

 ト「え……! ベ、別になんでもねーし」

 ミ「どうしたの? 兄さま?」

 ト「だから何でもねえって!」

 兄貴は様子がおかしい俺を気遣ってくれただけだし、ミハエルだってミハエルなりに心配してくれただけだ。でも、些細なことながら焦っていたこの時の俺はどうしようもなく苛立ってしまった。そんな俺を見て、エディは先ほどまでとは一変して申し訳なさそうな顔をする。

 エ「ごめんね……もしかして僕、トムに嫌なことしちゃった?」

 ト「違うって!」

 エディを落ち込ませてしまったとなると、もうどうしようもない。

 ク「なんか、僕が変なこと言っちゃったかな? ごめんトーマス」

 兄貴までが気まずそうにするが、俺はこの空気をどうしていいかわからずに黙り込んでしまった。ここにきて、父さんが小さく苦笑を見せた気がした。

 バ「慌てなくても大丈夫だよトーマス。誕生日の日は、みんないつもみたいに早く寝なくてもいいんだから」

 父さんの言葉、その暖かい口調に俺は落ち着きを取り戻す。

 ト「うん……わかってる」

 それから、俺は兄弟たちを見て、

 ト「ごめん、俺もなんか怒っちゃって……」

 と、この空気を何とかしたい一心で謝った。

 家族は、本当に暖かい。俺の気持ちをその場の誰もがわかってくれて、みんながまた笑顔になってくれた。

 そんな中で父さんと目が合うと、父さんはさりげなくソファの端に置いてあるクッションに目線をやった。最後まで、本当にさりげなく手伝ってくれるつもりらしい。

 ト「ちょっと待ってて!」

 誰に、というわけでもないがそう言って、俺は父さんが目線をやったクッションのところまで行き、クッションとソファの間に隠していた袋包みを持ってみんなのところに戻る。

 ト「エディ、これ……」

 もっと言葉を続ければいいものを、ぶっきらぼうにそう言ってエディに袋包みを差し出す。

 エ「え?」

 ト「だから、ほら……」

 こんな様子の俺を見かねて、父さんがエディに言う。

 バ「開けてごらんエドガー」

 言われて、エディは不思議そうに袋包みを開けた。

 エ「わぁ……」

 中に入っていたペンダントを手に取って、エディが小さくも嬉しそうな声をあげた。それから、遠慮がちに俺を見る。

 エ「これ、僕に……?」

 小さくも俺はうなづく。

 ト「それ、誕生日プレゼント……父様にさ、お前に手作りのお守りあげたいって話したら、その石がいいって教えてくれたから……だから父様と一緒に探したんだ」

 バ「大変だったんだよ? その石……ドラゴン・メカニズム自体はたくさん落ちていたんだが、「綺麗な形の石をあげるんだ!」ってきかなくてね……」

 ト「だって、その方がいっぱい守ってくれそうじゃん……」

 そんな話を聞いていた兄貴が小さく笑った。

 ク「いいんじゃないかな? そういう気持ちは大事だよ」

 ト「うるせえよ……」

 からかい気味の兄貴に若干ムキになってしまったが、先ほどのような怒り方にはならなかった。

 ト「とにかくさ、ほら……見つけるの大変だったんだから、大事にしろよな……」

 エ「……ありがとう」

 そう言って、エディは小さくも心の底から嬉しそうに笑ってくれた。その笑顔に、俺もつられて気付けば笑っていた。

 ミ「いーなぁ、兄さま見せて見せて!」

 プレゼントの話を父さんにした時に俺がしていた心配はどうやら杞憂だったようで、ミハエルはエディへのプレゼントを見たがりはしたが欲しがったり、拗ねるほどに羨ましがったりはしないでくれた。

 エ「いいよ、ほら」

 エディはミハエルにペンダントを渡す。するとミハエルはペンダントの石をまじまじと見つめ始めた。

 ミ「すごーい! でも、綺麗だけど真ん中の目、ちょっと怖い……」

 言われてみれば、何も知らずにドラゴン・メカニズムの龍の目を見れば子供なら怖がってしまうかもしれない。ミハエルの言葉に、父さんが勧めてくれたドラゴン・メカニズムをプレゼントに選んだのは失敗だったかもしれないと思っていると、父さんが優しく笑った。

 バ「大丈夫だよミハエル。怖いかもしれないけど、この龍の目が悪いものをやっつけてくれるんだ」

 それから、父さんはエディの方を見る。

 バ「だから、いいかいエドガー? せっかくトーマスがとても綺麗な形の石を見つけてくれんだ。お守りとして大事にするんだよ?」

 父さんはそう言ってそっとミハエルからペンダントを受け取ると、エディに渡した。

 エ「うん!」

 ト「ほら、早くつけてみろよ」

 少しでも早くドラゴン・メカニズムにエディを守ってほしくて、俺はエディが持つペンダントをそっと取って、首にかけてやった。

 うまく言葉には出来なかったが、本当に似合って見えた。

 ト「いいじゃん、すげぇ似合ってる!」

 エ「そ、そう……?」

 ト「うん! あとさ……! これ、お守りなんだけど……それだけじゃなくてさ……」

 一度、俺はエディから顔を逸らした。お守りにかこつけてエディに一番伝えたい言葉を思い浮かべると、少しだけ緊張してしまったんだ。

 だけど、伝えたい。何があっても絶対に守ると、約束すると、そう伝えたい。

 その気持ちに従って、俺は少し間を置いたがすぐにエディの目をしっかりと見た。

 ト「俺……お前のこと、何があっても絶対守ってやるって約束するからさ。それはその約束の証だぜ? だから絶対無くすなよ?!」

 エディはいきなりの、それも半ば一方的な約束の宣言に驚いたようだったが、すぐに嬉しそうに笑ってくれた。

 エ「うん……!」

 あの雨の日、熱に侵され倒れていたエディを見つけたその瞬間から願い続けていた想いが、形になった夜だった。

 

 

 5――自覚のない心の内

 六歳の誕生日に俺があげたドラゴン・メカニズムのペンダントを、エディはいつも首にかけて大事にしてくれた。
 それだけじゃない。
 翌年の俺の誕生日が近づくと、エディも父さんに頼んであの河原に行ってドラゴン・メカニズムを探したらしく、俺の七歳の誕生日には「お揃いにしたかった」と言って、エディが見つけたドラゴン・メカニズムを父さんが加工してくれたペンダントをくれたりもした。
 俺がもらったペンダントの石は、わかりやすく言うなら丸みを帯びたL字型と言えばいいのだろうか。いや、三日月のような形と言えばわかりやすいかもしれない。とにかく、球体ではなくそんな形をしていた。「自分がもらったペンダントのような綺麗な石を見つけられなかった」「綺麗な形に削ろうとすれば石の中の鉄の輪がなくなるから、この形にしか出来なかった」とエディは申し訳なさそうに言ったが、正直俺は形なんて気にしていなかった。エディが探してくれた、お揃いの石のペンダント。それだけで嬉しかった。
 本当のことを言えば、血の繋がりがない。
 だから似ているはずがない。
 それでも同じ歳であり、ミハエルの兄、クリスの弟という共通点を持ち、そしていつも首にかけているのは二人お揃いのドラゴン・メカニズムのペンダント……
 錯覚でも願望でもなく、俺は本当にエディを双子の弟なんだと思いながら、日々を過ごすことが出来ていた。それはエディの体が、成長と共に自身で決めた生き方である「男」から否応なく離れていっても……
 俺とエディが九歳になる年、父さんはエディのためにジェンダーレスの子供のために作られた衣類や下着を扱う店を探し、体に悪影響が出ない程度に上半身の男女の差を隠せるという特製の下着を買い与えた。
 日常の中で荷物を持つような場面でも、エディが重くて持てないというものを、俺や兄貴だけではなく年下のミハエルが持てるということも増えていく。
 同い年の俺の声が低くなっていっても、エディの声は年相応に落ち着きこそすれ、男の声変わりのような高低の変化は見られない……

 身長こそ男と言っても不自然ではなかったが、成長と共に確実に身体が「男」からかけ離れていくエディを、家族全員が変に意識することはなかった。そう、本当に誰も気にしてなんていなかったんだ。俺だって、成長に伴ってエディが女に思えてきたなんてことはなかった。

 ……だが、男だとか女だとか、そんなことは関係なしに、俺は無自覚ながらエディのことを兄貴やミハエルと同じような兄弟として見れていなかったんだ。

 守るべき、大切な存在。だけど、兄弟に対して抱くような守りたいという気持ちとはまた違う――こんな気持ちを、俺はきっと……エディと出会った瞬間から、ずっと無自覚にも持ち続けていたんだろう。身体が男女として成長していく過程というよりも、ただ単純に共に過ごす時間が積み重なっていく日々の中で、俺の気付かないところでそんな気持ちは徐々に膨らんでいたんだろう。
 無自覚だったとは言えそんな気持ちが俺の中にずっとあったことが、アークライトの家族と血の繋がりがないことを心の底でずっと気にしていたエディを傷付けてしまうことだったのか、それとも結果的にはエディにとっていいことだったのか……正直、俺には今もわからない。わかっちゃいないが……わからなくてもいいんじゃねえかと、そうも思っていたりする。

 何しろエディも、俺を兄として想っていたつもりで、本人も気付いていない無自覚な部分では兄として見れていなかったってんだからな。

 そのお互いの無自覚な事実を俺たちに確信づける出来事……それがあの、地獄のような日々と、その先で得た仲間たちとの戦いにあったんだ。

 

 

 6――離散

 

 父さんが消えた。
 その頭脳を尊敬し、友と信じていたDr.フェイカーの裏切りにより、行動を共にしていた探検家の九十九一馬と共にバリアン世界への扉を開けるための生贄にされたんだ。
 俺たちがその真実を知ったのは、父さんが失踪してから数年先のことだった。父さんが失踪したという事実だけを知り、父さんの帰りを待つ数年の時間は、今思っても本当に苦しかった。
 父さんがバリアン世界と繋がる遺跡の中で消息を絶った時、兄貴は父さんの研究の手伝いをしていたために遺跡近くに張ったキャンプまでついて行っていた。そして、ついて行っていながら父さんと一馬氏の失踪を許してしまった自分を追い込み、責め立てた。
 その結果、兄貴は俺たち弟を突き放したうえで、たった一人で父さんを見つけると決意した。

 ――ミ「なんで……? なんでお父様帰ってこないの? なんでクリス兄様とも離れなきゃいけないの?」

 

 ――エ「やだよ……家族、ばらばらになりたくないよ……お兄ちゃん、行かないでよ……!」

 

 ――ト「ふざけんなよ! 一人で勝手に決めやがって……! 俺も……俺も父様を探す!」

 

 一人で家に帰ってきた兄貴は俺たちの気持ちなんて始めから聞くつもりもなく、父さんが消息を絶った事実と、これからのこと――自分は日本のハートランドシティに研究所を持つフェイカーの元に残って父さんの手がかりを探すことに専念し、俺たちは施設に預けるつもりだということを話した。
 もちろん俺たちは反対した。受け入れられるはずがない。だが、俺たちに何を言われようと、どれだけ責められようと兄貴は頑として考えを変えることはなく、数日後には兄貴の予定通りに、俺たちを迎えに施設の職員がやって来た。

 ――ク「父様の知り合いがいる信頼できる施設だから、何も心配なことはないよ」
 違う。俺たちはそんな心配をしているんじゃない。

 

 ――ク「トーマス、お前が三人の中で一番年上なんだ。エドガーとミハエルのこと、頼んだぞ」
 無責任に任せるんじゃねえよ。俺だけじゃダメなんだよ……父さんはもちろん、兄貴もいないと……エディもミハエルも安心できねえんだよ! 

 

 ――ク「大丈夫だよエドガー。トーマスもミハエルも一緒なんだ、寂しくはないさ」
 誰が一緒だからとかじゃねえ。エディは……父さんだけじゃなく、兄貴まで離れていくことが辛いんだよ……!

 

 ――ク「父様を見つけて、すぐに迎えに行くから。それまで施設の人の言うこと、トーマスやエドガーの言うことをちゃんと聞くんだよ、ミハエル」
 すぐに迎えに行く、なんて……そんな子供騙しの言葉が通用するほどミハエルはもう子供じゃねえ。兄貴だってそれくらいわかってんだろうが……!

 

 俺たちを迎えに来た施設の職員を少し待たせて、兄貴は俺たちそれぞれに言葉をかけた。この時の、俺たちを安心させようとしたのか無理やりに作った笑顔がすぐにでも崩れそうだったのを、今でも覚えている。兄貴のあんな顔を見たのは、十二年生きてきて初めてだった。
 「みんなはお兄さんに言っておきたいことはないのかな?」
 兄貴の言葉に何も答えられず、自分たちからも何も言おうともしない俺たちを気遣ったのか、職員はそう訊いてくる。だが、俺たち三人は一人として職員にすら何も返さず、さらには三人揃ってその場を動こうとしない。そんな俺たちを見て、職員は少し困った様子を見せていた。
 兄貴もまた、施設に行きたがっていない俺たちと、そんな俺たちに困る職員を見て複雑そうな顔をしていた。だが、ふいにその顔に決意の色が宿った。
 ク「時間を取らせてすみません……弟たちを……トーマスと、エドガーと、ミハエルを……どうかお願いします」
 この場合の保護者に当たる兄貴がそう言ったことで、職員も割り切ったようだった。
 「わかりました。……それじゃあ、行こうか」
 そう言って、職員は俺たちの手を引いて歩きだす。決して乱暴ではなかったが、職員の大きな手に引かれた俺たちはその場に留まることが出来ず、仕方なく……本当に仕方なく歩き出す。それでも……もう、どうしようもないんだとわかっていても……俺はどんどん離れていく兄貴から目をそらしたくなかった。
 それはエディもミハエルも同じだった。歩き始めてからもずっと、後方の兄貴をじっと見つめ続け、行きたくないという気持ちをぶつけているようだった。
 ク「……」
 兄貴は、俺たちが遠ざかるにつれてどんどんと辛そうな顔になっていく。それが意味するのはおそらく兄貴自身、俺たち弟と離れることを望んでいないのだろう。望んでいないくせに、長男として、そして、消えた父さんのすぐ傍にいながらその失踪を防げなかった唯一の人間として、たった一人でこの事態を背負うことを選んだということなんだろう。
 俺だって……エディだってミハエルだって、そんなことわかってはいるんだ。わかってはいるのに……
 「あ、ちょっと……!」
 ト「エディ……!」
 ミ「兄様!」
 まだ子供だった俺たちに……特に、心休まる家族という居場所を失うことを誰よりも恐れているエディに、こんな現実を受け入れろというのはあまりにも残酷過ぎた。突然、エディが職員の手を振り払って兄貴の方へと走り出したんだ。
 エ「やっぱり、やだよ……! お兄ちゃんと離れるの……これ以上、家族がばらばらになるの……やだ……! やだよぉ……!」
 俺も、エディのようにこれ以上家族が離れていくことを受け入れたくないと、その気持ちをぶつけるために兄貴の元に戻りたかった。ミハエルだって、職員が少しでもその手を取る力を緩めればエディのように兄貴の元へ今にも走り出したそうにしている。
 ク「エドガー……」
 泣き出すエディを前にして、兄貴は戸惑いながらも言う。
 ク「もう、決まったことなんだよ……! みんな待ってるから……早く行くんだ……」
 震えていた。兄貴の声は、今にも泣き出しそうに震えていたんだ。
 エ「お兄ちゃん……」
 それでもまだ戻ろうとしないエディだったが、兄貴は苛立ったように自身の服を掴んでいたエディを腕で払い除けた。
 エ「……!」
 ク「早く……! 早く行くんだ……!」
 エ「……」
 後にエディが言うには、この時の兄貴は声が震えているだけでなく、目に涙を溢れんばかりに溜めていたという。
 それでも、意地でも涙を流すことを堪えて見せた兄貴を前に、エディは何も言えなかった。そして、何もできなかった。自分の気持ちを突き通すこともできなければ、兄貴の気持ちを汲んで自ら職員の元に戻ることも、何もできなかった。
 職員は俺とミハエルの手を握ったままエディと兄貴を見守っていたが、二人の間に沈黙だけが残った様子を見て、静かに俺とミハエルを連れてエディの元に歩み寄る。
 「……行こうか」
 エディは、何も言わず……いや、何も言えずに、俺と一緒に職員の左手を握り、職員と一緒に歩き出した。
 それからも兄貴の姿が見えなくなるまで、俺たちは三人共手を引かれながらも兄貴を見続けたが、兄貴の決心はついに揺らがなかった。
 兄貴の姿が見えなくなってからも、エディはずっと泣き続けた。

 ミハエルも、少しずつこらえていた感情を抑えきれなくなっていったのか、気付けばエディと同じように声をあげて泣いていた。
 俺だって、二人にそんな顔を見せたくなかったから下を向いて誤魔化していたが……泣かずにいられる訳がなかった。
 もう……何が悲しいのか、何が悔しいのか、何に怒りを覚えているのか……そんなことがどうでも良くなるほどに、弟たちには顔を見せずに、施設に着くまで泣き続けた。

 

 

 7――変化

 

 施設での生活は、悪くはなかったが決して良いとも言えなかった。
 職員の大人たちは兄貴が言った通りに父さんが信頼している人たちなだけあって、元からいる子供たちにも、新しく施設に入った俺たちにも変わらず、それぞれの事情を把握したうえで適切に接してくれた。エディのことだって、本当は女だが男として過ごしていると兄貴から説明を受けたようで、施設の子供たちには男として伝え、職員たちも必要な場面以外ではエディを男として扱ってくれた。
 問題は元から施設にいる子供たちだった。
 この時施設にいた子供たちは、そのほとんどがかつてのエディのように実の親から危害を加えられていたり、育児放棄をされた子供たちだった。施設に入るまで「親」であった人間を嫌悪しているんだ。
 だが、俺たちはその真逆だ。俺やミハエルにとっては血の繋がりを持つ実父であり、エディにとっても心から本当の親だと思える存在である父さんの帰りを待つために、俺たちは施設に預けられたようなもんだからな。だから、自分たちが嫌悪する立場に当たる存在――元々の家族を待ち続ける俺たち兄弟は、施設の子供たちにとっては異端で疎ましい存在だったんだろう。
 それに加えて、突然父さんが失踪し、さらに兄貴と離れたことで気持ちが不安定だった俺たちは、自分たち兄弟三人以外にはなかなか心を開けなかった。そんな態度も気に食わなかったのか、他の子供たちは職員の目の届かないところを狙って度々俺たちに嫌がらせをしてくるようになった。
 それでも、俺がいる時はまだいい。俺は喧嘩のやり方を知っていて、暴力でかかってこられようが並大抵の相手に負けることはない。性格も我ながら図太い方だと思っているだけあって、嫌がらせをされてもその都度やり返して、エディやミハエルを守ってやれた。だが、俺が奴らの嫌がらせに動じないことを知ると、今度は職員が見ていないだけでなく、俺が傍にいない時を狙ってエディやミハエルをいじめるようになりやがった。
 四六時中一緒にいることが出来ない中でそれでも出来る限り二人の傍にいようとしたが、それが叶わないわずかな時間の中でいじめられ、夜、部屋で落ち込んでいるエディやミハエルを見て初めて弟たちがいじめられたことに気付く自分の非力さが腹立たしかった。
 そんな毎日の中で、エディは不自然に変わっていった。

 ――エ「俺なら大丈夫。俺よりミハエルのこと、気にかけてあげてよ」
 穏やかな性格によく似あう「僕」という一人称が、いつの間にか、まるで無理をして強がっているかのように「俺」に変わっていた。

 

 ――エ「父さん、帰ってくるよね……兄さんが探してくれてるんだもんね」
 離れている家族の呼び方が、「父様」「お兄ちゃん」から「父さん」「兄さん」に変わっていた。

 

 ――エ「こんなくだらない嫌がらせを、飽きもせずに何度も何度も……本当にバカみたいだ……」
 この頃から、エディの最も忌み嫌うエルスの両親の口癖でもあったという「バカみたいだ」といった言葉を、本人も無自覚の内によく口にするようになっていた。

 

 言動だけじゃない。エディはミハエルを守りたいと言い、俺に守られてばかりではダメだと思うと言い、職員や俺に体を鍛える手伝いを頼むようになった。その結果、元より男に生まれ、同年代よりも喧嘩の腕が立つ俺ほどではなかったが、誰も本当は女だとは気付けないくらいに、エディは自分の身もミハエルのことも守れるほど強くなった。
 だが……エディが無理をして強くなろうとしていることは明らかだった。無理をして、自分を追い詰めて、俺が傍にいられない時にはミハエルを守る代わりに自分が傷付いて、それでも俺やミハエルには平気な顔を繕って……
 それなのに、エディは俺にまで気遣って……施設に入ってから俺を頼ろうとしたことはなかった。頼らなくても平気なら別にいいさ。だが、違う。誰かに頼らなけりゃすぐにでも潰れそうなくらい苦しいくせに、その誰かを想って一人で背負う。
 なんでだよ……なんで、頼ってくれねえんだよ……
 俺には、エディを支えるほどの力がねえとでも言いたいのかよ……
 ……いや、そんなことをエディは思っちゃいない。俺が強がって、施設での生活を平気がっていることに気付いていたんだ。だからエディは自分が辛いことを顧みず、俺を気遣って頼ろうとしなかったんだ。
 そうだ、俺も本当は……父さんの行方がわからなくなったと兄貴から聞いたあの日から、毎日が辛くてたまらなかった。いつ終わるかわからない施設での生活への不安、エディとミハエルをちゃんと支えてやれているのかわからない不安、この不安な気持ちをどこにぶつければいいのかわからない苛立ち……そんな辛さを、俺も抱えざるを得なかった。
 だが、そんな弱音を口にしたことなんかなかったのに、誰よりも人の痛みに敏感なエディは、俺の感じていた辛さや苦しさに気付いてしまっていたんだろう。気付いてしまったから、俺以上に一人で抱え込もうとしちまったんだろう。
 でもな、エディ。俺が施設での生活で一番辛かったのは、お前がどんどん笑わなくなっていったことなんだよ。お前が辛いのに、何もしてやれなかったことなんだよ。
 俺も辛かったのは事実だが、だからってお前が俺を頼ったからって、それで潰れるほど俺は弱くねえ……なんで、気付かれたくなかった俺の辛い気持ちを勝手に気付いておいて、お前に頼ってほしいって気持ちには気付いてくれねえんだよ……
 互いに互いを想うからこそ、俺もお前もどんどん辛くなっていく。
 エディが苦しくて、悲しくて、もしもお前の心が壊れてしまったらと考えると、どうしようもなく胸が苦しくなる。
 そんな風に感じ始めた頃から、俺はエディへの想いが弟へ向けるものとは違っているのではないかと気付き始めていた。
 だが、その想いの本質を知ってしまえば……俺たちの兄弟に――俺の弟になることを選んでくれたエディを、男として強く生きたいと願ったエディを裏切ってしまうような気がして……だから俺は、その想いの本質を知ることから無意識に目を背けていたんだ。
 エディを想う気持ちの真意がなんであろうと……エディが俺にとって誰よりも大切な存在であることに、変わりはねえんだから。

 8――トロン一家

 

 施設での生活が始まってから数年が経ち、俺とエディは十六歳に、ミハエルは十四歳に、離れている兄貴は十九歳になった。そしてこの年、俺たちの施設での生活はある日突然に終わりを迎えた。

 今まで一度だって連絡も訪問もしてこなかった兄貴が、見知らぬ子供を連れて俺たちを迎えに来たんだ。その子供こそ、Dr.フェイカーによって落とされた異世界の狭間から絶えず襲い掛かる力に抗い続けた結果、子供のように小さな体となり、自身を裏切ったフェイカーへの憎しみと復讐心だけを心に満たした、復讐鬼トロンとなってこの世界へ帰還した父さんだった。

 それからのことは……。

 まあ、簡潔に言えば……俺たち兄弟は名前を捨て、思い出を捨て、故郷を捨て、人の心を捨ててまで、父さん……いや、トロンのためにフェイカーへの復讐劇を始めたんだ。

 始めにトロンは名を捨てた俺たちに新たな名前を与えた。兄貴にはⅤ(ブイ)、俺にはⅣ(フォー)、エディにはⅡ(ツー)、ミハエルにはⅢ(スリー)の名だ。次に与えられたのは、トロンが異世界――バリアン世界で手に入れた紋章の力と、その紋章の力を使う際の負荷を僅かばかりに抑えることが出来る紋章服。

 そして、フェイカーへの復讐の鍵を握るという異世界のカード「ナンバーズ」がこの世界に現れてからは、紋章の力に惹かれてトロンの元に集まったナンバーズをそれぞれ与えられた。
 俺が渡されたのは「15」と「40」の二枚のナンバーズ。エディも俺と同様に二枚、「22」と「45」を与えられ、俺と共に表立った活動をしながらナンバーズを集めるようにと指示された。
 そして、トロンは言った。
 ただナンバーズを集めるのではなく、少しでも多くの憎しみや恨み――負の感情をデュエリストたちに植え付けろ、と。そうすることでトロンが持つナンバーズが真の力を発揮できる、と。

 本当のことを言えば、俺はトロンのこの命令に反対したかった。俺一人でこなしていいのなら別に構わなかったが、トロンは俺だけじゃなく、誰よりも人の痛みに敏感なエディにもこの憎まれ役を指示したんだ。トロンは「あくまでⅡの仕事はⅣのサポートだ」と言っていたが、たとえメインで動く訳ではないサポートだろうが、そんなこと……意図してたくさんの人間を傷付けていく戦いを、エディにはさせたくなかった。

 だが、エディはトロンの命令に迷うことなく従う意思を見せた。そしてトロンも他の兄弟もいない時に、俺に、寂しそうに笑ってこう言った。

 

 エ「足手まといになるかもしれないけど……それでも、Ⅳのサポート頑張るから。Ⅳがたくさんのナンバーズを集めてトロンの期待に応えられるって証明できれば、きっとトロンは……父さんは、Ⅳを認めてくれるよ」

 

 エディは、家族が壊れてしまうずっと前から、俺が父さんに少しでも早く一人前だと認めて欲しいと思っていたことを知っていたんだ。兄弟の真ん中――兄でありながら兄を持つ身として当たり前の感情だと、その向上心が俺らしくて尊敬していると言ってくれたこともあった。だからそんな俺のために、エディは明らかに適任とは言えないトロンからの命令に背くことはしなかった。トロンの命令を受け入れ、俺がトロンの期待に応えられるようにと、この残酷な復讐劇に手を染めることを選んでしまった。……こんなにも辛い状況の中でも、自分より俺のことを優先してしまったんだ。

 まあ、どんなに考えたところで……俺やエディの考えや気持ちなどには関係なく、俺たちにはトロンに従うしか選択肢はなかったんだがな。

 ――フェイカーへの復讐という悲願を果たせば、きっとトロンは元の優しい父さんに戻ってくれる……元の幸せだったころの家族に戻ることが出来る……――

 その願望は、兄弟四人全員が抱く共通の想いだ。だから、あくまでも最優先すべきはトロンの指示、命令であることは兄弟四人の中で暗黙の了承だった。つまり、俺たち四人の考えや意思なんてトロンに伝えること、いや……心の内に思うことすら許されなかったんだ。

 どうしたってエディも憎まれ役を引き受けなければいけないというのなら……せめて、少しでも多くの憎しみの矛先を俺に向けさせてやる。

 必要以上の残虐さを持ち、絶望を与える時にはあえてなけなしの希望を先に与えてやる。

 必要以上に冷酷になり、相手の戦意が底をついたとしても攻めの手は決して緩めない。

 必要以上に卑劣な手段を使い、この復讐劇を俺一人で心から楽しんでやるよ。

 そうして、俺が少しでも多くのデュエリストを傷付けることで、エディが誰かを傷付ける必要を少しでもなくしてやる……

 トロンに従いながらもエディを守る……そのために俺は、バカどもに向ける紳士的な偽りの顔と、トロンのための冷酷非道な本性を併せ持つ、Ⅳという復讐者になると決めた。そして、どんな手を使ってでもエディを守り通してやると、本当の名前を捨てても捨てることが出来なかったドラゴン・メカニズムのペンダントに誓った……

 その誓いを片時も忘れずに、紋章服の下にドラゴン・メカニズムのペンダントを隠したまま、俺はエディと共にナンバーズを集め、ナンバーズと関係あろうがなかろうがたくさんのデュエリストたちを傷付け、そんなデュエリストたちに憎まれる日々を送り続けた……

 

 

 トロンのためにフェイカーへの復讐を決意したあの日から一年あまりが経った。

 俺は、復讐の舞台となるハートランドシティが属する極東で開かれる、デュエルの大会という大会に出場を繰り返して知名度を上げ、短期間で極東エリアのデュエルチャンピオンにまで昇りつめた。こうすることで、知名度のあるデュエリストとなった俺とデュエルをしたいと思うバカどもが湧くようになり、こちらからデュエリストを探す手間が省けてナンバーズを探しやすくなった。

 それだけじゃない。トロンの命令にもあった「復讐の手駒」となる男――極東エリア全国大会決勝戦の相手となった神代凌牙の心を揺さぶり、奴を俺たちの復讐へ引きずり込むことにも成功した。

 エディはそんな俺に付き添い、デュエルの大会に関すること、トロンの命令に関わることなど、とにかく細かな多くのサポートを的確にこなし、タッグデュエルの大会に出る際にはタッグパートナーも務めてくれた。そして俺が極東エリアのチャンピオンになってからは正式に「Ⅳのマネージャー兼タッグパートナー」として世間にも知られ、俺……いや、「紳士的なⅣ」と同様に、「気さくで優しいマネージャーのⅡ」という認識が世間に広がり、そんなエディに憧れ、エディや、エディと俺のタッグとデュエルをしたがる連中も増えていった。

 兄貴は特にトロンの側で指示を受け、動くことが多かった。長兄であり、一番にトロンの計画を聞かされ、そして短い時間ではあったが父さんと共に研究をした経験もあり、兄弟の中でも一番に信頼されてのことだろう。まあ、連日表立って活動していた俺からすりゃあ、拠点にしている屋敷にこもりっぱなしで楽をしているようにしか見えなかったけどな。……いや、こんな風に思っちまったのはおそらく、俺以上にトロンに認められている兄貴への嫉妬だったのかもしれないが。

 ミハエルは主に兄貴の手伝いを請け負うことが多かった。それか、俺やエディとはまた違ったアプローチでナンバーズの情報やナンバーズの回収に出掛けることもあった。Ⅲとなってからは「ミハエル・アークライト」との決別を意識してか、兄弟ではなく「復讐の仲間」である俺たちに敬語を使いだし、今までのような末弟ゆえの子供のような雰囲気は見る影もなくなり、家族を取り戻したいという覚悟の強さを思い知らされた。

 こうしてそれぞれがトロンに課された役目を全うしながら、復讐の舞台となる大きなデュエルの大会であるWDC(ワールド・デュエル・カーニバル)が幕を開けた。

 

 ……形だけでは家族が揃ったというのに、この一年は誰も心から笑ったことなどなかった。

 本当はわかっていたさ。こんなことをしていたって、例え復讐を果たせたとしたって、昔のように幸せな家族に戻れる訳がないと。それでも俺たちは、戻ることのできない復讐の道を進むしかなかった

 そしてこの戻ることのできない地獄のような道を進む中で、俺の危惧していたことが起きようとしていた。

 

 ――エ「龍魔眼(エルスアイ)の力が、強まってるのを感じるんだ……」

 

 龍魔眼(エルスアイ)……かつてエルス家が異世界の存在「バリアン」と接触して絶対繁栄の契約をした反動で、エルスの血を引く女の目に宿った破壊の呪いとも言える力であり、エディが実の両親に無理やり男として育てられる原因となった忌々しい因縁だ。その力は持ち主の負の感情によって顕現し、エディの意思に関係なく全ての存在を傷付け破壊しようとする。

 幼いころに暴走したその力を見た父さんの研究者としての考察と、その後偶然得ることのできた、信頼できる元エルス家の関係者との接触によって、この頃にはエディ本人も、俺たち兄弟やトロンも、その力の全容を知っていた。知っていたから、俺は危惧していたんだ。トロンの命令が、龍魔眼(エルスアイ)に良くない影響を与えるのではないかと……

 バリアン世界の力である紋章の力を得たことによって、同じくバリアン世界と繋がりのある龍魔眼(エルスアイ)の全容を知ったトロンから話を聞かされていたために、この頃の俺たちはみな龍魔眼(エルスアイ)の全容を理解していた。だからこそ、俺は危惧していたんだ。トロンの命令が、龍魔眼(エルスアイ)に良くない影響を与えるのではないかと……
 今までは、龍魔眼(エルスアイ)の暴走によって刻まれた俺の顔の十字傷によってその力を抑えることが出来ていたが、トロンの命令に従い、必要以上に多くのデュエリストをその意に反して痛めつけて傷付けてきたエディの心は、自分で傷付けてきたデュエリストたち以上に傷付き、弱っていた。それは俺の十字傷の影響力をもっても龍魔眼(エルスアイ)の力の強まりを抑えきれないほどに苦しみに染まり、暴走の兆しを見せ始めていたんだ。

 Ⅱとなってから、エディは隠れていつも泣いていた。龍魔眼(エルスアイ)の影に怯え、自分たちの復讐のために無関係な人間を傷付ける罪の重さに耐えかね、復讐を果たしたところで決して家族が元に戻らないと悟っていても、止まることのできない現状を嘆いて……

 そう、俺は知っていた。エディがずっと、平気な顔をしてトロンのための復讐を行う裏で、その本心では一人隠れて泣いていたことを。
 だが、知っていて、どうすることも出来なかった。

 どんな言葉をかけたって、エディの涙が渇く理由にはならない。この現状が変わるきっかけにはならない。

 俺は、どうしようもなく無力で愚かな自分を恨み、必死になって、エディを守るための答えを探した。

 そして、その果てに心に決めた。

 

 ――こんな残酷な復讐劇は、俺がすぐに終わらせてやる……

 

 だが……エディを――その優しすぎる心を守るために必死に導き出した俺の決心、いや……独りよがりの頼りない願望は……最後まで、叶うことはなかった。

 

 9――戦う本当の理由

 

 ミハエルが、眠った。

 九十九遊馬とのデュエルに、トロンから授かった全ての力を使い果たし、それでも勝つことが叶わずに敗れたからだった。

 屋敷の寝室、その中央に置かれたベッドで静かに眠るミハエルは、生きている。だが、その生を繋ぐ魂をトロンが握っている以上、ミハエルが目覚めることはないと言われた。

 

 兄貴が、眠った。

 復讐の相手であるDr.フェイカーの息子であり、互いに父親の因縁を知らなかった頃の唯一の弟子である天城カイトとのデュエルに敗れ、トロンに見限られたからだった。

 

 家族を取り戻すために、家族を失っていく……こんな矛盾を目の当たりにしても、もう俺たちは……俺とエディは、止まることが出来なかった。止まることが出来ず、ただ、トロンの命令を完遂するためだけに戦い続けた。

 ミハエルや兄貴を取り戻すことも、復讐の心に支配される前の優しい父を取り戻すことも、エディが安心して過ごすことの出来る家族という居場所を取り戻すことも、全てが不可能だとわかっていても……戦うしかなかった。

 それだけじゃない。

 トロンが、俺たち兄弟四人の誰一人にも本当は期待などしていなかったことにも、俺たちが持つ父への敬愛の心を利用していたことにも、計画の中で俺たちを切り捨てるつもりであったことにも……気付いていて、気付かないふりをするしかなかった。

 なのに、あの一戦で……三枚目のナンバーズを携えエディと共に臨んだ凌牙との一戦で……俺たちが必死にトロンの確信に気付かないふりをしていたことを、トロン自らが無意味なものにしようとしてきた……

 

 ――To「ねえ、Ⅳ……君だって思ってるんじゃないの? こんなことなら、Ⅱなんて見つけなきゃ……拾わなきゃよかったって――」

 

 やめてくれよ……! そんなこと、思ってねえ! そんな出まかせを、あんたの口からエディに聞かせるんじゃねえ……!

 

 ――To「証明して見せるんだ。Ⅳがまだ僕の役に立つということを……君がまだⅣの役に立てるということを……それが、Ⅱ、君の役割だ」

 

 やめろ……! これ以上エディを追い詰めるな!

 

 ――To「Ⅱ……君には、君だけが持つ素晴らしい力があるんだ……今こそ使いこなして見せなよ……そしてⅣの役に立ってあげなよ」

 

 あの力を……使った分だけエディを傷付ける、あの力を使わせるんじゃねえ!! 

 

 トロンが、自分だけが知りえる計画を進めていく度、エディはトロンの言葉を真に受けて自身を責め、俺はそんなエディに焦りを募らせる。そして……

 

 ――エ「嫌だ……! トムまで父さんに見捨てられるなんて……! 俺のせいで……そんな……そんな、バカみたいなこと……!!」

 ト「ダメだ、やめろ!! 龍魔眼(エルスアイ)は、他人を……いや、お前自身を傷付けるだけの忌まわしい力なんだ! そんなもの……そんな力、使っちゃダメだ!!」

 

 今でも鮮明に覚えている。全身を龍魔眼(エルスアイ)の痣に締め付けられた、痛々しいエディの姿を。

 今でも忘れることが出来ない。エディを守り切れなかった俺自身への憎しみ。それと同時に沸き上がった、エディを失うかもしれない底知れぬ恐怖を。

 「俺の役に立ちたい」という想いの強さゆえに……エディは自分を犠牲にすることも厭わず、龍魔眼(エルスアイ)を発動させてしまったんだ。

 

 ――エ「あの時はⅣを傷付けた力なのに……今はこの力に頼らないと君の役に立てないなんて……本当に……バカみたいだ……」

 ト「バカでもいい……いいんだよ……だから思い止まれよⅡ……龍魔眼(エルスアイ)なんて力、お前にはいらないんだ……お前が傷付くくらいなら、トロンに見捨てられた方がまだマシだ……だから――」

 エ「ごめん……もう、遅いんだ……龍魔眼の源神(エルスアイ・ディエディ)を召喚してしまった……もう、俺の力じゃ龍魔眼(エルスアイ)を止めることはできないよ……」

 

 力の持ち主であるエディ自身、龍魔眼(エルスアイ)を止めることが出来ないという事実……

 その事実を思い知らされた瞬間……俺の戦う理由が姿を変えた。

 

 ――ト「……だったら俺が! あの時のように、お前の力の暴走を止めてやる! ……だから、それまで持ちこたえねえと許さねえからな……!」

 

 あの時のように……エルスの両親の影に怯えたお前を助けることの出来た、あの日のように……俺が絶対にお前を助ける! そのためなら、どんな手だって使ってやる!

 

 龍魔眼(エルスアイ)に蝕まれたエディを助けたい……

 この瞬間、その想いだけが、俺の戦う理由となった。

 

 

 10――初めから、きっと

 

 守れなかった。

 俺のためだけに、自分を犠牲にする覚悟で龍魔眼(エルスアイ)を発動させたエディを、守ることが出来なかった……

 デュエルの終盤、トロンの策略によってカオスの力を得た凌牙は、その勝ちを確実にした。確実にして、その勝ちを捨てる可能性を残しながらも奴は俺への復讐を優先しやがったんだ――

 あのターン凌牙は、俺の切り札であるナンバーズ「No.88 ギミック・パペット-デステニー・レオ」を、カオスの力によって呼び出したカオス・ナンバーズ「CNo.32 シャーク・ドレイク・バイス」で倒さなければデステニー・レオの特殊勝利条件によって負けることが決まっていた。逆を言えば、デステニー・レオを倒すことでその勝利は確実だったんだ。しかし、その攻撃をエディに向けることで、凌牙は次の俺のターンに訪れるデステニー・レオの特殊勝利条件によって自身の勝ちを捨てることと引き換えにエディのライフポイントを0にすることも出来た。

 凌牙は……龍魔眼(エルスアイ)の暴走で魂が消耗したエディが、カオスの力を持つシャーク・ドレイク・バイスの一撃に耐えることが出来ないとわかっていて、そしてそんなエディを俺が見捨てることが出来ないとわかっていて……最後に残された一撃を、エディのフィールドに攻撃表示で佇む「No.22 夜明機龍(ドーン・ドラゴニクス)-沈黙の生龍(サイレント・ライバー)」へと放った。そして、俺もまた自身の勝利を手放してまでエディを守ろうと手を打ったが、そこまで読んでいた凌牙の返しの一手によって皮肉にも俺とエディは同時にライフポイントを奪われ……敗北した。

 デュエルの勝敗がつき、デュエルの最中に、カオスの力として凌牙に与えるためトロンに無理やり龍魔眼(エルスアイ)の力を切り離されたエディはもう、限界だった。

 

 ――エ「どこ……? トム、どこ……? 怖いよ……独りはやだ……やだよ……」

 

 龍魔眼(エルスアイ)の暴走と強引な切り離しによって消耗した魂は、エディの全ての感覚を閉ざそうとし、すぐ傍にいる俺を見つけさせることも阻んだ。

 それでも俺は、エディを抱きしめた。

 

 ――ト「エディ……大丈夫だエディ……俺はここにいる……傍にいるから、落ち着け……大丈夫だから……」

 

 心からの呼びかけと、俺の気持ちを汲んだように光る俺たちのドラゴン・メカニズムのおかげか、エディは俺を見つけた。そして、凌牙たち兄妹への贖罪の気持ちをこぼした。許されないとわかっていても、謝らなければいけないと、罪の意識の重さに涙を流した。

 続いて口にしたのは、俺の役に立てなかったという……謝罪だった。

 自分を責め続けるエディを、見ていられなかった。自分を責め続けるエディの言葉を、聞いていられなかった。

 

 ――ト「もういいんだ……! もう、復讐なんてしなくていい……お前はもう、誰も傷付けなくていいんだよ……! だから……これ以上自分を責めないでくれ……」

 

 俺の言葉に触れ、エディは笑ってくれた。

 涙を流したまま、父さんが失踪してから始まった地獄のような日々の終わりを悟り、俺の大好きな、あの優しく穏やかな笑顔を見せてくれた。そしてそのまま……ミハエルや兄貴と同様に、トロンによる制裁を意味する二度と目覚めることの許されない眠りについた。

 俺にもすぐに、兄弟たちと同様にトロンによる制裁が下されることはわかっていた。それでもこの時の俺が感じていたのは恐怖なんかじゃない。

 エディがこれ以上傷付かなくてもいいという安堵と、エディを守りきることが出来なかった後悔、そして……出会ってからこの瞬間まで、少しずつ膨らんできていたエディへの想いの正体への確信だった。 

 

 ――遊「Ⅳ……お前たち……お前とⅡ……本当に兄弟、なのか……? 兄弟というよりも、お前たちはずっと……」

 ト「わからねえ……ただ、男とか女とか、血の繋がりとかは関係なしに……あの雨の日、Ⅱを見つけたあの瞬間……俺は何があってもⅡを守りたいと思った。弟としてなのか、それとも……」

 

 ――ト「そうだな……確かに、俺は初めからⅡのことを弟として見ていなかったのかもしれねえな……」

 

 お人好しで、自分とは関係ない戦いも全て見守り、そしてその全ての戦いに渦巻く復讐の念に心を痛めていた遊馬が、俺たちの最期となるであろうデュエルを見て、俺たちの「兄弟」という関係に疑問を持った。

 傑作だよ。今の今まで、この想いの正体にたどり着くまで遠回りをしていた俺よりも、つい最近出会ったばかりの遊馬に、俺の気持ちの深い部分を見破られるとはな。

 そして、残された時間が少ないことは自分が一番わかっていた。

 

 ――ト「凌牙……今までのこと……すまなかった……」 

 

 ――ト「恨むなら俺を……俺だけを恨んでくれ……お前にとって理不尽な話だと、到底納得のいかない話だということはわかっている。それでも、これ以上Ⅱを責めないでくれ……俺の大事な存在を……俺の大事なエディを……これ以上……」

 

 つくづく、我ながら自分勝手な人間だと思うよ。

 もちろん、凌牙に申し訳ないという気持ちは本当にあった。

 自分たちとは全く関係がなかった俺たちの復讐劇に妹と共に巻き込まれ、そしてこれからもトロンによって利用されてしまうこの男に……エディが言っていたように、許されることがなくとも謝りたかった。

 それと同時に……申し訳ないと思いながらも、それでも俺はエディをこれ以上責めないで欲しいという気持ちを、伝えずにはいられなかった。

 そして、凌牙が俺の言葉にどう思ったか、それを聞くことも叶わずに……制裁を受け入れるためだけに、俺はエディと共にトロンの紋章の力によってその場を去らざるを得なかった。

 

 俺は眠りについたエディを抱えたままトロンの紋章の力に飲まれ、気付けばミハエルと兄貴が眠りにつく、屋敷の寝室に立っていた。そこには丁寧にも、ミハエルと兄貴の眠るベッドの隣に、二人分の空のベッドが用意されていた。

 正直、もう立っていることすらきつかった。必死にデュエルをしていて忘れかけていたが、俺もまた紋章の力を使い過ぎて、トロンの制裁がなくとも魂の消耗によって死にかけていたんだ。

 ふと、抱えているエディを見た。

 お前は、俺たちよりもずっと辛かったんだろう?

 血の繋がりの有無に囚われ、紋章の力と同時に龍魔眼(エルスアイ)の力にも魂を蝕まれ、それでも最期まで俺のことを想ってくれていたんだろう……?

 もう、いいんだ。もう、何も心配することはない。今まで頑張り過ぎた分、ゆっくり休め――

 俺はエディを、ミハエルの眠るベッドの隣に用意されたベッドにそっと寝かせた。その瞬間に、全身の力が抜ける感覚を覚えた。思わず、エディを寝かせたベッドの隣――最後の空のベッドを背に、崩れ落ちる。

 だんだんと意識が薄れていく……

 トロンの制裁、生きたままの永遠の眠り……そうだ、もう俺は二度とエディに会えないんだろう……長い時間の中でやっと見つけた、お前への気持ちの、本当の意味を伝えることも出来ずに……生きたまま死んでいくのだろう……

 ――やっと、気付けたのに……エディ、俺はお前が……

 いずれトロンから制裁を受けること、それはこの復讐劇を始めた時から覚悟はしていた。だが、やっと気付けた気持ちをエディに伝えることが叶わない悲しさに、情けなくもだんだんと重くなる瞼の内に涙が溜まっていた。

 しかし、涙で歪み、落ちていく瞼で狭くなっていく俺の視界の先で眠るエディは、復讐の苦痛から解放されて穏やかな顔をしている。

 ――それでも……お前が苦しみから解放されたというなら、それだけで……

 そんな想いを抱きながら兄弟たちと同様に、俺もトロンに……父さんに魂を委ね、眠りについた。

 

 

 11――再出発と、新たな一歩

 

 「トーマス……起きなさい、トーマス……」

 

 暗闇の中、ふいに誰かの声が聞こえた。

 優しくて、暖かくて、懐かしい声。その声の主がだれなのか、姿は見えなくともすぐにわかった。

 父さんだ。

 父さんが呼んでくれている。父さんと母さんがくれた「トーマス」という俺の本当の名を。

 その名前で呼ばれるのはいつぶりだったか……

 そんなことを思っていた時、ゆっくりと暗闇が消えていくのを感じた――

 俺たちは目覚めた。兄弟四人誰一人欠けることなく、再び魂を取り戻して。

 そして……目が覚めた時にはもう、全てが終わっていた。

 父さんと共にフェイカーに裏切られた九十九一馬の息子であり、アストラル世界の使者に選ばれたデュエリストである遊馬が、俺たち兄弟の想い、凌牙たち兄妹の想い、カイトたち兄弟の想いを全て背負って、どんなに絶望的な状況に陥っても最後まで諦めずにかっとビングを続け、トロンの……父さんの中に巣くった復讐の念を消し去ってくれた。トロンは遊馬とのデュエルを通じて、優しかった俺たちの父バイロン・アークライトとしての心を取り戻してくれたんだ。

 そして、様々な思いと迷いの果てに、父さんはフェイカーを許すことが出来た。復讐の念に囚われていた時には知ろうともしなかった、フェイカーの裏切りの理由を知ることが出来たからだ。

 屋敷の寝室で、俺たちは魂を抜かれて眠り続けたために鈍った体を思うように動かせず、父さんを探しに行くことも出来ずにその場で休むしかなかった。そんな俺たちの元に帰ってきてくれたのは、ただ子供の姿をしているだけで、俺たちが待ち侘びていたかつての優しい父その人だった。復讐の念に支配されたトロンはもう、どこにもいなかった。

 

 再び家族としての絆を取り戻し、俺たちはアークライト一家として再出発することを決めた。そして、いずれまたこの世界に攻め込んでくるであろうバリアンとの戦いに備えるため、奴らが必ず接触を図ってくると思われるアストラルを連れた遊馬と、一時離れることにした。

 ハートランドシティで活動していた時に拠点にしていた屋敷を手放して潜水艇型の移動基地を新たな拠点とし、バリアン世界由来の反応の観測や、今までのように魂に負担をかけるようなことのない新たな形で紋章の力を使う方法の研究、さらにエディは龍魔眼(エルスアイ)を使いこなせるようになるための訓練も毎日のように行った。

 形だけの家族が再会してからはずっとフェイカーへの復讐のためだけに、本当の名前も家族との絆も捨てて動いていた俺たちだったが、再出発を果たせた今は違う。トロンを「父」と呼ぶことができ、俺たち兄弟は皆本当の名前で呼び合える。俺とエディに至っては、互いだけの特別な愛称で呼び合える喜びも取り戻せた。

 バリアンの脅威がいつ来るかわからない緊張感の中で油断などしているつもりはなかったが、それでも……心から家族と呼べる人たちが傍にいてくれる中で過ごせる時間は、本当に幸せだった。

 だが……一つだけ、気がかりなことがあった。

 WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)が終わってからというもの、エディに対して今まで通りに接してやれているかという不安があったんだ。

 極限の戦いの中で気付けたエディへの本当の気持ちを意識してしまうと、どうにも、以前とは違って不自然な態度をとってしまいそうになる。だが、今まで通りの態度でいられているのかとエディ本人に確認する訳にもいかねえし、他の家族にだって相談しづらい。

 極端に言えば、俺はエディに対して、家族や男に対して感じるはずのない気持ちを抱いているんだ。それを、エディを血の繋がりなど関係なく弟、兄、息子として……男として接し、大切な家族だと思ってくれている父さんや兄弟たちにも、相談できる訳がなかった。

 しかしだ、こんな俺の悩みも知らないで、本気なのかからかっているのか知らねえが、兄弟たちは時折こんなことも言う。

 

 ――ミ「トーマス兄様、なんか緊張してませんでした? エドガー兄様と明日の相談してきただけですよね?」

 

 ――ク「一度お前たちと別れる前と比べて、エドガーは振る舞いや口調が男らしくなったな。だが、矛盾するようだが時折どこか淑やかに見えてしまう時も増えた気がするよ」

 

 二人共、憎らしいほど聡明で鋭い。さすがは父さんの息子たちだとでも言っておくが……とにかく、特に大きな意味もなくただ思っただけのことを口にした兄弟たちのこんな言葉にも、俺はまるで後ろ暗いことがあるかのようにいちいち反応を見せているんじゃないかと、気が気じゃなかった。

 一方のエディ本人は、少なくとも俺が感じる範囲では特に以前との変化は見られなかった。だが、俺の感覚なんてあてにならない。たとえ俺の態度に不信感を抱いていたとしても、誰かのための隠し事が得意なエディのことだ、きっと何も問いただすこともなく、何に気付いた素振りも見せず、今まで通りに接してくれている可能性がでかい。

 もしそうだとしたら、正直好ましい状況とは思えない。いくら俺の態度が不自然なことに気付いていたって、その理由にはさすがのエディも気付けないだろう。そうなると、エディはきっと俺がエディを避けたがっているとか、何か気に食わないことがあるとか、そんな良くない方向に考えてしまう。そして、兄弟を疑うことに自己嫌悪し、一人で誰にも相談できずに落ち込んでしまう……

 こんなことでエディを落ち込ませるなんてしたくない。だが、だからと言って俺の気持ちを素直に伝えるというのも難しい。

 こんな半端な気持ちで、過酷となることは必須であるバリアンとの戦いに備えることができるのだろうかと、誰にも相談できない悩みから生まれた不安を抱えて過ごしていた。

 そんな中、この状況を切り開いてくれたのは……

 

 移動基地の中で、バリアン世界の反応観測、紋章の力の調整や龍魔眼(エルスアイ)の力を使いこなすための訓練、バリアン世界の勢力に対抗するための新たな武器の開発研究などに努める毎日の中の、ある日のことだった。

 バリアン世界の力の反応を観測していたミハエルとエディと交代するため、俺と兄貴は計測室の出入口のすぐ傍まで来ていた。そして、その気はなかったのだが、ミハエルとエディの会話を聞いてしまったんだ。

 

 エ「~~デュエルカーニバルで俺とトムが凌牙に負けた時……俺は紋章の力と龍魔眼(エルスアイ)の力を使い過ぎて、デュエルが終わった時にはもう、なんて言うか、ひどく眠くて目を開けてもいられなかった……その時に、トムが遊馬たちにそんなことを言ってた気がするんだ……いや、今はバリアンたちへの対策を頑張らなくちゃいけないのはわかってるんだけど、ずっとその言葉の意味が気になってて……」

 ミ「トーマス兄様、そんなことを言ってたんですか」

 エ「うん。でも、あれから別にトムの態度が変わった訳でもないし、あの言葉の意味を俺から聞くのもなんだか聞きづらいし、でもやっぱり気になるし……」

 

 途中からだったが、これだけ聞けば少なくともエディから見て俺の態度が変わったと思われていた訳ではないと思えた。しかし、この話の内容……エディの奴、まさかあの時……

 

 エ「ねえ、ミハエルはどう思う? ミハエルから見て、トムは俺をどう思ってるように見える?」

 ミ「……エドガー兄様はどうなんですか?」

 エ「え?」

 ミ「エドガー兄様は、トーマス兄様が兄であることに違和感とか、そういうことはないんですか?」

 エ「違和感……言われてみれば、そうだ……俺もずっと、トムのことを兄として見れていなかったような、そんな気がする……でもなんで……? 大事な兄弟なのに……家族なのに……なんでトムを兄として見れていないんだろう……」

 

 話の中のこのあたりで、出入り口付近で立ち止まってミハエルとエディの話を立ち聞きしていた俺と兄貴の横を、後ろから歩いてきた父さんが声をかけることもなく通り過ぎ、計測室に入っていった。

 

 To「それって、兄弟とは別の存在としても感じているからじゃないのかい?」

 エ「父さん……!」ミ「父様……!」

 To「バリアンたちの反応の観測お疲れ様、エドガー、ミハエル」

 ミ「いえ」

 エ「でも父さん……今の、兄弟とは別の存在ってどういうこと?」

 To「兄弟とはまた別の……守り、守られる存在……かな?」

 エ「え……」

 To「もし気に障るようだったら謝るけど……トーマスとエドガーを見ていたら、やっぱりエドガーは女として生きた方が幸せなのかなって思うんだよ。もちろん、兄弟としての関係を続けながらでもいい。振る舞いや言葉遣いだって無理に変える必要はない。だけど、血が繋がっていないからこそ、男と女だからこそ、築ける関係があるんじゃないかって……君たちを見てるとそう思えて仕方なくてね」

 エ「……」

 ミ「トーマス兄様も、自覚があるかはわかりませんが、エドガー兄様とそういう関係を築きたいと思っているということですか?」

 

 そうだよ、自覚したのはつい最近だが……父さんやミハエルが言っていることは当たりだ。

 

 ミハエルの問いを受けて、父さんはうなずいてまた話し出した。

 To「エルスの家でずっと男として育てられて、なのにうちに来た途端に「本当は女の子なんだから、今日からは女の子として生きなさい」なんて急に言われても、まだ小さかったエドガーは困ってしまうと思ってね。だから僕は、少なくともエドガーが子供のうちは君の気持ちを尊重してあげたいと思って、その結果男の子として育ててきたんだ。だけど、今の君はもう子供じゃない。僕の判断なんか関係なく、自分のことでも冷静に判断ができるだろう?」

 エ「うん……」

 To「まあ、トーマスと一緒に男としてデュエルの表舞台で活動している以上は「Ⅳの弟でマネージャーのⅡは、実は女でした」なんて公表するのは難しいかもしれないけど……父親としては、君には家族の中や理解者の前でだけでも、今更だなんて思わずに自分らしく生きたいように生きてほしいと思うんだけど……」

 そう言った父さんは、おもむろに出入口――俺と兄貴が立っている方を振り向きやがった。

 To「ねえ? トーマス、クリス、君たちはどう思う?」

 エ・ミ「え……?!」

 ト「な……! なんで声かけるんだよ!」

 思わず父さんに怒鳴ってしまった俺だったが、兄貴は他人事だと思いやがってくすくすと笑っている。

 エ「トム……! 兄さん……」

 兄貴が俺をちらっと見て、父さんに続くように計測室に入っていく。さすがに一人で出入り口につっ立ってる訳にもいかねえから、俺も計測室に入った。

 ク「まったく……このタイミングで声をかけてくるとは、父様も人が悪いですね」

 To「だって、さっきからずぅっと二人でそこにつっ立ったままなんだもん、なんで入ってこないのか気になっちゃってさぁ」

 父さんは、少しふざけるように子供のようなトーンで言う。子供の姿から戻れないことも前向きにとらえているのか、最近は見た目相応の口調でふざけることも増えていた。いや、そんなことはどうでもいい。わかりきったことを聞いてきやがって……

 ク「先ほどのエドガーとミハエルの会話を聞けば、いくらトーマスでも気まずいでしょう」

 ト「おい! いくら俺でも、ってどういう意味だよ兄貴!」

 ク「お前は人並み以上に図太いところがある。が、そんなお前でも場の空気を読もうと思えば読める。そういうことだ」

 ト「ほっとけ……」

 俺が兄貴と言い合ってる中、ミハエルがエディに何かを言っていた。

 ミ「ねえ、エドガー兄様。せっかくだし、本人に聞いてみたらいかがです?」

 エ「聞くって、何を……?」

 ミ「エドガー兄様がずっと気にしている、トーマス兄様が言っていたっていう言葉の意味ですよ。その答えがわかれば、エドガー兄様も不安な気持ちが無くなるかもしれないですし……それに、先ほどの父様の話にもあった、兄様の自分らしいと思う生き方の答えも見えてくるんじゃないですか?」

 エ「で、でも……そんなこと言ったって……」

 そう言って、エディはばつが悪そうに俺の顔を見た。エディがその意味を知りたいという俺の言葉……まあ、あれしかないだろうな。

 ト「俺の言ってた言葉ってのは……その……エディのことを弟として見ていなかったってこと……だろ……?」

 エ「う、うん……」

 ト「それにしてもお前……それを聞いてたってことは、あの時はまだ意識があったんだな……」

 エ「え、っと……それは、その……なんて言うか、ぼんやりとだけど聞こえてきてたと言うか……はっきりはわかんなかったけど……」

 そう言いながら、エディはどんどんと不安げに俯いていく。

 ト「違うからな……」

 エ「え……?」

 ト「弟として見ていなかったってのは、他人とかそういうんじゃなくて……なんつうか、さっき父さんが言ってたような……」

 ク「兄弟とは別の、それでいて兄弟と同様に大切な存在ということか」

 ト「あ、ああ……ただ、お前はずっと、強くあろうと男として必死に生きてきた。だから、この気持ちはお前の努力を否定しかねないと思って、ずっと言えないでいたんだけどよ……」

 それ以上、言葉が続かなかった。こんな急にこの話をするなんて思ってもいなくて、話すための心の準備が足りていなかったんだ。

 それから、俺とエディとっては気まずい、他の三人にとってはもどかしいような沈黙が訪れたが、それを破ってくれたのはエディだった。

 エ「努力を否定されたなんて思わないよ。それに、もしトムがずっと、口に出していないだけで俺のことを女だと思って接してきていたとしても……嫌な気持ちは全然感じない。あれだけ男でありたいってこだわってた俺が言うと、嘘みたいだけどさ」

 エディの本心に、俺は今までに感じたことのない、うまく言葉にできないような喜びに近い、不思議な気持ちを覚えた。

 ト「なら、俺も本音を言わせてもらうが……俺は、エディに対して感じる気持ちが弟に対するものではないと、ガキの頃からずっと感じでいた。だが、男として生きようと頑張ってるお前を見ていると、これはきっと伝えちゃいけねえ気持ちなんだとも思っていたんだ。だから、お前の本音を聞けて安心してるつうか……俺の本音を伝えられてよかったと思ってるよ」

 本音を伝え合った俺たちを見て、父さんは優しい顔をした。

 To「いい機会だ、エドガー。さっきも話したけど、誰の意見なんかも気にしないで、自分がどう生きたいかをしっかりと考えてごらん……そうすれば、トーマスに対しての感情の答えが見えてくるかもしれないし、トーマスもエドガーに対する感情の答えが見えてくるかもしれないからね」

 エ「俺がどう生きたいか……」

 To「今まで通り、男として強く生きたいと思ったっていいし、逆に今まで抑え込んでいた女としての自分を大事にしたいと思ったっていい。どちらにしても、ここにいるみんな、誰も君の選択や気持ちを否定なんてしないんだから……」

 エ「……」

 そう言われ、エディは何かつかえていたものが落ちたような顔をするも、迷うように俯いた。

 ク「どうした、エドガー……?」

 エ「トムや父さんの気持ちはすごく嬉しいし、今の話で、今まで不思議だった感情の原因にもやっと納得できた。でも……やっぱり女として生きていくには、もう遅すぎるよ……」

 To「……じゃあ、遅いかどうかはひとまず置いておこう。今の言い方だと、女として生きていきたいって意味に聞こえたんだけど、そこはどうなのかな?」

 エ「……」

 ミ「エドガー兄様……」

 エディが男として生き続けようが、女として生き始めようが……互いに本心を伝え合えた今となってはどうでも良かった。そうさ、エディが男として生きても女として生きても、俺の気持ちが変わらないことは、俺自身が確信しているんだ。

 まあ、とにかく……これ以上エディを困らせる訳にはいかねえよな。

 エ「――!」

 言葉をかけるよりも前に俺は、WDCが終わってからは、互いに隠すことなく紋章服の上から見えるように首にかけているドラゴン・メカニズムのペンダントを、エディの首から外した。

 エ「ちょ、ちょっとトム……!」

 ト「これをお前にあげた時、俺は兄として、お前を弟として守ってやると約束したんだ。だったら、約束のし直しをしなくちゃいけねぇからな」

 エ「約束の、し直し……?」

 覚悟を決める時だった。

 ト「エディもそう望んでくれるなら、って話にはなるが……俺は、兄としてはもちろん、これからは共に生きるパートナーとしてもお前のことを守りたい。だから、このドラゴン・メカニズムを……新しい約束の誓いとして、もう一度受け取ってくれるか?」

 だがエディが見せたのは、今までの話で受け入れてもらえると思っていた俺にとって、予想外の反応だった。

 エ「受け取りたい……もちろん受け取りたいよ……! でも俺、今更女らしくなんて出来ないんだよ? そのくせ……男であろうと強がっていた時でさえ弱くて、迷惑ばかりかけてきたのに……女として生きていいなんて思っちゃったら、男として無理に強がらなくてもいいってわかっちゃったら……今まで以上に迷惑かけちゃうかもしれないんだよ……?!」

 こんな時にも、お前は俺のことを優先して考える。それも、全く見当違いな心配をしやがって。

 ト「女らしくない? 今まで以上の迷惑? 何だよそれ……いいか? 俺はお前が女らしくなかろうと全くかまわねえ。……いや、無理して自分らしくない振る舞いをされる方が嫌だがな。それに何度も言わせるな。俺はお前に迷惑をかけられたなんて思ったことは一度だってない。むしろ、自分だけで塞ぎ込んだりせずにもっと頼ってほしいと思っているくらいだ」

 エ「トム……」

 ト「もう一度聞くが……これからも家族として、兄弟としてはもちろん……愛する者としてエディを守るという俺の誓いを、受け取ってくれるか?」

 俺の問いに、エディは今度こそ嬉しそうな顔を見せてくれた。

 エ「もちろんだよ……」

 ト「……そうか、ありがとな」

 誓いの証として、俺は六歳のエディの誕生日の時と同様に、手に持ったドラゴン・メカニズムのペンダントをエディの首にかけ直した。今更だが、本当によく似合ってる。

 エ「俺だけみんなと血が繋がっていないってことも、本当は女だってことも、ずっと認めたくなかったことなのに……」

 エディは俺たち兄弟に向かってそう言い、続いて父さんを見る。

 エ「父さん……俺、家族の中でだけでもいいから、今からでも女として生きたい……! 女らしくはなれないけど、今からでも……父さんの娘に、なれるかな……」

 To「なれるさ。僕の娘にも、クリスの妹、ミハエルの姉にも。そして、トーマスの恋人にもね……」

 俺の気持ちを受け止めたうえで女として生きたいと願うエディ。妹ができ、姉ができた兄貴やミハエルも、とても優しく嬉しそうな顔をしてくれていた。

 To「やっと、自分たちの本当の気持ちに気付けたんだ。トーマス、エドガー……その気持ちを、二人共お互いに大事にしていくんだよ? いいね?」

 ト「わかってるさ」

 エ「うん……」

 この日、今はトロンとなったバイロン・アークライトを父とする家族の再出発から少し遅れて、俺とエディは家族の再出発とは別に、新たな一歩――恋人としての一歩を踏み出した。

 俺が長い間エディに対して抱いていた、弟を想う気持ちとは異なる想いの正体――エディへの恋心は、やっと俺の心の外に出ることが叶ったのだった。

 

 

 12――絆愛(ばんあい)の心で挑んだ戦い

 

 エディとの関係を改めてからのこと?

 実を言えば、今までとそこまで変わることはなかった。今までだって俺はエディのことが大切だったし、エディも俺を大事な存在と思ってくれていたからな。

 しいて言えば、エディの女として生きたいという気持ちを尊重して、ミハエルは家族や仲間内などの事情を知る人間しかいないところではエディのことを「兄様」ではなく「姉様」と呼ぶようになった。一度、遊馬の前でエディが生き方を改めたことを話すより先に「姉様」と呼んで気まずくなったことはあったらしいが、その時以外はしっかりと、エディが男でなければいけない場面とそうでない場面で使い分けているのだから我が弟ながら器用なもんだ。

 それから俺とエディも、互いを想う気持ちが兄弟に対してのものとは違うのではないか、血の繋がりの無さから無意識によそよそしくしてしまっているのではないかという疑問と不安がなくなり、少しばかり以前よりも互いに素直な態度を取れる場面が増えた気もする。その影響なのか、恋人同士となったあの日以降、エディの龍魔眼(エルスアイ)を使いこなすための訓練は順調に進むようになったらしい。父さんが言うには、龍魔眼(エルスアイ)の力を安定させるために重要なことは力の持ち主であるエディの魂の強化にあるらしく、それは心の安定や意志の強さが関係するという。そして、俺との新たな関係がエディの心を今まで以上に支え、エディ自身を強くしているのだとも言っていた。

 結果、エディはバリアンたちが本格的に攻めてくるよりも早く龍魔眼(エルスアイ)の力を自在に使えるようになり、訓練の末に生み出した龍魔眼(エルスアイ)の力を宿したモンスター・エクシーズ「夜明機龍(ドーン・ドラゴニクス)-龍魔眼の贖罪魂(エルスアイ・アトーナー)」を新たに従え、かつては俺たちを憎むもその果てに許してくれた友――凌牙とその妹の璃緒を、彼ら兄妹を毒をもって苦しめたバリアンから助けることも出来た。

 

 しかし、このバリアンたちとの戦いでも、あの時のように……WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)の時のように、俺はエディを守り切れなかった……

 バリアンたちとの戦いの中で、俺とエディの前に立ちはだかったのは他でもない、凌牙だった。そう、凌牙“だった„存在――バリアンたちを統べるバリアン七皇のリーダー、ナッシュだったんだ。

 バリアンとしての記憶を失くして人間として過ごしてきた凌牙が、バリアンとしての記憶と使命を思い出した時、奴は葛藤の末にバリアンとして戦う道を選んだ。それはつまり、人間――神代凌牙として過ごして得た仲間である遊馬を倒すことを意味した。

 その事実を知った時、俺とエディは同じ考えを持った。

 遊馬にも、凌牙にも、そんな悲しい戦いを強いらせるわけにはいかない、と。

 どんな姿をしていようと俺たちにとって凌牙は、かつては憎みすらした俺たちを許してくれ、そして、友と呼んでくれたデュエリスト・神代凌牙なのだ、と。

 だから俺とエディは、ナッシュを含めたバリアン七皇が狙っている遊馬を逃がす時間を少しでも多く稼ぐため、そして遊馬の仲間であり、同時に俺とエディの友である凌牙に人間の心を取り戻させるため、ナッシュとのデュエルに挑んだ。

 だが、兄貴から託された、人間の俺たちでも使えるカオスの力「RUM(ランクアップマジック)-アージェント・カオス・フォース」や、エディの持つ真価を発揮した龍魔眼(エルスアイ)の力をもってしても、俺たちは凌牙の人間としての心を取り戻すことが出来なかった。

 デュエルの決着は、まるであの時――WDCで凌牙に負けたあの時と一緒でありながら、真逆の結果となった。あの時は、エディを守ろうとした俺の一手を逆手に取った凌牙によって二人同時にライフポイントを失ったが、今回は逆に、俺を庇おうとしたエディの一手をナッシュが利用して、再び俺たち二人を同時に下したんだ。

 悔しかった。

 友を呼び戻せなかったことが。最愛の存在を守り切れなかったことが。

 それでも……バリアンとの戦いに敗れた代償として肉体も魂もバリアン世界に吸収され始め、悔しい思いを抱えることになったとしても、あの時のような悲しさこそ感じなかった。

 あの時は……WDCで凌牙に敗れた時は、エディに伝えたい想いを伝えられないままにトロンからの制裁――永遠の眠りを迎えることが悲しくて堪らなかった。だが、今はちゃんと感じている。俺とエディの間に、兄弟以上の愛情と言える絆――絆愛(ばんあい)のぬくもりが存在していることを……

 

 ――ト「どうせ……最後のあの速攻魔法も……俺たちのライフを同時に奪うためじゃなく……俺たちを……俺とエディを互いに独りにさせないために発動させたんだろう?」

 

 無様に倒れ、歩み寄ってきた凌牙を見上げながら力なく投げかけた俺の問いに、凌牙は悲しげな顔をするだけで否定をしなかった。

 共に、同時に敗れたからと言ってバリアン世界に吸収される魂までもが共にいられる保証なんてない。それでも、バリアンとして戦う運命から後戻りできないところまで自ら進んでしまった凌牙が、最後に人間としての心から俺たちにかけてくれた情けが、場違いにも嬉しくさえ思えた。

 

 ――ト「エディ……地獄の果てだろうと……ずっと一緒だ……」

 

 もうじき、体も魂も完全にバリアン世界に吸収されてしまうだろう。そんな中でエディに差し出した手を、エディは優しく握ってくれた。

 

 ――エ「うん……」

 

 怯えず、安心したような顔をして短くもそう答えてくれたエディを見て、俺も安心感を覚えた。

 俺が覚えている最後の光景は、最愛の存在の、ボロボロでありながらも穏やかな笑顔だった。

 

 13――共に目覚めて……

 

 今回もまた遊馬が、俺たちが敗れてしまい力になれなくなった状況の中で、激しい戦いを経て全てを終わらせていた。バリアンたちを陰で操っていた真の敵――バリアンの神ドン・サウザンドを倒し、そして人間界とアストラル世界を守るために、バリアン世界の運命を背負った凌牙……いや、ナッシュとのデュエルにも複雑な思いを抱えながらも勝利した。

 遊馬は、神代凌牙という仲間を失う代わりに、バリアンとの戦いに敗れバリアン世界に吸収されてしまっていた俺たちを解放してくれたんだ。

 気が付いた時、俺はエディと手を繋いだまま、凌牙とデュエルをして敗れた場所に倒れていた。俺が目覚めた瞬間にはまだ目を覚ましていなかったエディにひどく焦りを感じたが、俺の呼びかけに応えるように目覚めてくれたエディを見た時、これ以上ないといったほどに安心した。

 生きて、最愛の存在と共にこの世界に戻ってくることが出来た。同じ死の淵からの生還でも、父さんから魂を返してもらえたあの時の目覚めとはまた違う喜びを感じた。

 互いに体が動くことを確認し、俺たちは急いで兄貴やミハエル、父さんと連絡を取り、生きてまた家族全員が再開を果たすことが出来た。

 

 だが、バリアンの脅威が去った後もしばらくは落ち着くことがなかった。

 まず訪れたのは、ヌメロン・コードを巡る遊馬とアストラルの闘い。遊馬の仲間たちが集まり、その勝負の行方を見守る中、俺たちは離れた場所でそのデュエルを見届けた。

 このデュエル――言うなれば闘いの儀に勝利したのは、遊馬だった。

 しかし、闘いの儀の勝者に与えられるのはヌメロン・コードの使用権ではなかった。遊馬がこのデュエルで手にしたものは、過酷なデュエルを続ける中で失ってしまった「デュエルを楽しむ気持ち」、そして……人間界での使命を終えたアストラルとの別れ。

 結局は勝敗に関係なく、アストラルはヌメロン・コードを使うつもりだったんだ。その用途は、遊馬を悲しませるような「バリアン世界の消滅」などではなく……ドン・サウザンドの企みによって犠牲になった者たちの救済だった。

 その結果、バリアンとして散っていった凌牙や他の七皇だった六人は人間として転生し、父さんとは別の次元の狭間――アストラル世界にいた遊馬の両親も元の世界に戻り、そして銀河眼(ギャラクシー・アイズ)と共に戦い抜いた果てに命を落としたカイトも、その命を再び取り戻した。

 

 ヌメロン・コードの発動後に俺たちはやっと、戦いとは無縁の、家族が揃った生活を手に入れた。

 父さんは小さな体のままだが、和解したフェイカーやカイト、そして以前と変わらず兄貴と共に、先史遺産(オーパーツ)や異世界の研究を続けている。もともと研究が好きな父さんと、研究者としての父さんに強い憧れを持っている兄貴だ、研究の進展があった時はもちろん、なかなか新しい発見がない時期でさえもいつだって活力に満ちていた。

 ミハエルは残り一年足らずではあるが、ハートランド学園の三年生として転入し、兄弟の中で唯一「学校生活」を送り始めた。学年は違えど初めての親友である遊馬と同じ学校に通い、クラスという同年代の集団と交流しながら勉強をする日々は、授業内容こそミハエルにとっては退屈なものばかりだが、楽しく充実した毎日だと嬉しそうに話してくれた。

 俺はWDC(ワールド・デュエル・カーニバル)以降はデュエリストとして表舞台に顔を出していなかったが、今となっては誰にも譲れねえほどに気に入っている「Ⅳ」のデュエリストネームを携えて再びデュエルの表舞台に立つことにした。エディも俺同様にかつて名乗っていた「Ⅱ」を名乗り、時に俺のマネージャーとして、時に俺のタッグデュエルパートナーとして、共にデュエリストとしての活動をしてくれていた。

 

 だが、良く言えば平和な、悪く言えば退屈な毎日を過ごす中で、変化は再び訪れる。

 ヌメロン・コードを使ったことにより、アストラル世界に新たな危機が訪れようとしていた。そのことに一早く気付いたのは、父さんたち研究所のメンバーだった。それからカイトたち天城家、俺たちアークライト家の人間に詳細が伝わり、黙っておくのも筋が違うと思った俺とエディが神代兄妹に伝え、さらにその神代兄妹から元七皇たちへと情報が伝わった。

 そして、今回のアストラル世界の危機――予期せぬカオスの力の集結は一刻を争うほどに救援準備の猶予もなく、この危機を救うために一番いなければいけない存在である遊馬がこのことを知ったのは、今行かなければ間に合わないというギリギリのタイミングだった。

 まあ、遊馬ならどれだけ突然のことであろうとアストラルのためなら臆することなく助けに行くだろうと皆口々に言っていて、実際にその通りとなったがな。「アストラル世界の危機」、「今すぐにでもアストラル世界へ助けに行く必要がある」と、そう遊馬に伝えに行った時には奴は二つ返事で立ち上がった。

 こうして、遊馬にとっては突然だっただろうが、ナンバーズとゆかりのあるデュエリストたち――遊馬と小鳥、カイトとオービタル、凌牙と璃緒、ベクターたち元バリアン七皇、そして俺たちアークライト一家はアストラル世界の危機を救うためにアストラルの元へと向かった。

 

 結論から言うと、アストラル世界の危機は主に遊馬とアストラルによって、そして二人を支える形となった他の仲間たちによって想像以上に早く解決した。

 遊馬が言うには、アストラル世界に駆け付けた全員が結束の力とかっとビングの心を持っていたからだというが……まあ、遊馬に言われれば説得力しかなかったから、皆反論もなくそういうことにしていたな。

 とにかく、今までの戦いのようにひどく傷付く者も出ず、誰も涙を流すこともなく、アンバランスに集結してしまったカオスの力は収束し、再び、一体化したアストラル世界とバリアン世界、そして交わることのない人間界のバランスは保たれたんだ。

 

 やるべきことを終えて人間界に帰ってきた時、改めてアストラルは遊馬と共に生きることを望み、異世界のバランスを崩すことなく皇の鍵を通じて人間界に戻ってきた。その際にナンバーズも再び人間界に連れ出し、ナンバーズ自身が望む使い手がいるカードに至っては、元の持ち主に渡してくれた。

 また、不思議なこともあった。人間界へ帰ってきた時の日にち、時間が、どちらもアストラル世界へ旅立った瞬間から少しも進んでいなかったんだ。

 正直、家族として再出発した俺たちアークライト一家にとって、そして恋人として新たな幸せを歩もうと誓った俺とエディにとっては、アストラル世界にいた間の時間が人間界では進んでいなかったことがありがたかった。本当に、わずか一秒だって……父さんの息子として、兄貴の弟として、ミハエルの兄として、そしてエディのパートナーとして過ごす時間を無駄になんかしたくなかったからな。

 この、アストラル世界からの帰還をもって、俺たちは本当に平和な日々を手に入れたのだと、改めて実感を得ていた――

 

 

 14――これからの未来(こと)

 

 不意に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
 エ「入るよトム」
 ノックの音とエディの声を聞いて、カーテンを開けたままの窓の外に向けていた顔を扉に向けていると、エディが俺の自室に入ってきた。
 バリアンたちとの戦いの最中、その日々の中で家族に見守られながらエディと二人で新たな一歩を踏み出したあの日から、今日でちょうど一年が経った。俺はこの日にエディに改めて伝えたいことがあり、夜に時間が出来たら俺の部屋に来てほしいと頼んでいたんだ。
 そう頼んだのは数日前。その日、俺は何とはなしにエディと出会った日のことを思い出した。それから毎日、まとまった一人の時間が出来る度にエディと過ごした時間を思い出すようになり、その回想の旅は偶然にも、エディを呼び出した今日の今この時になって、丁度よく現在に追いついたんだ。
 エ「あれ、カーテン開けたままでどうしたの?」
 エディは何気なくそんなことを言いながら、ベッドに座っていた俺の隣に腰かけた。
 家族として共に暮らしていれば互いに、部屋に呼び出して話をすることも珍しくない。だからか、エディは特に俺の呼び出しを気にすることなく、普段と変わらない様子だった。
 ト「別にどうもしねえよ。ただ、降り始めと比べたらだいぶ強くなったと思ってな」
 エ「強くなったって、雨のこと?」
 ト「ああ。昼頃に降り出した時はもっと小雨だったと思ってな」
 言いながら再び窓の外に視線を移すと、つられるようにエディも窓の外を見る。
 今日は昼頃に小雨が降り始め、夜になっても止むどころかだんだんと雨脚は強くなってきていた。こじつけかもしれないが、まるであの日のようだと思わざるを得ない天気だ。
 あの日。そう、エディと初めて出会った日のような……今日はそんな雨が降る日だった。
 エ「……雨には、感謝しなきゃな」
 ふいに、窓の外を見つめたままにエディがそう言った。
 ト「なんだよ、急に」
 エ「いや……なんだか、今日の雨は俺がエルスの家を逃げ出した日の雨とよく似ている気がして」
 この雨を見て、思い出すことは俺もエディも同じだったらしい。
 エ「あの時、トムたちは父さんに傘を届けるために出かけたって言ってたからさ。それに俺も、雨に打たれ過ぎて熱を出したりしなかったら、あの場所に留まってはいなかっただろうし」
 そこまで話し、エディは不安げな顔をした。
 エ「あの日雨が降っていたから、俺はアークライトの家族になれた。でも、もしあの日雨が降っていなかったら、俺はどうなっていたんだろう……」
 ト「どうにもなってるものか。例えあの日雨が降っていなくとも、あの日よりも出会うのが遅くなったとしてもだ。俺は絶対に、エルスの家でお前の心が壊れる前に、お前のことを見つけていたさ」
 根拠もないくせに自信を持って答えた俺に、エディは小さく笑った。
 エ「そうだよね。トムならどんな状況でも、俺のことを見つけてくれたよね」
 エディはそう言って、さりげなくもしっかりと、無造作にベッドに置かれた俺の手に自身の手を重ねた。心地よい暖かさが伝わる。
 昔、父さんが言ってたな。誰かと重ねた手が心地よく暖かいのは、愛情が存在しているからだと。そんな感覚を、母さんと手を繋ぐ度に感じていたと。
 エディも、手のひらで俺の手からぬくもりを感じてくれているんだろう。こんな、エディのさりげない行動一つをとっても、互いに心が通い合っているんだという実感を感じる。一人の人間を愛することの幸福を、強く感じる。
 エ「トムで良かった。俺を見つけてくれたのがトムだったから、今がこんなに満たされているんだ」
 ト「そうだな。本当に……他の誰でもない、俺で良かった。エディを幸せにする役目を、他の誰にも渡してやりたくなんかねえ」
 俺がそう言うと、俺の手に重ねられたエディの手に少し力がこもったように感じた。何か、不安にさせてしまうことを言ってしまっただろうか……? そう思っていると、エディは苦笑いをした。
 エ「ありがとう……でも俺だって、トムのこと幸せにしてあげたいんだよ? ……まあ、トムみたいに頼りがいがある訳じゃないし、それに女らしくもないし……こんなんで、トムのこと幸せになんて出来るのかって不安もあるんだけど……」
 そんな風に悩んでしまうこと自体が女らしさなのだと俺は思うのだが、エディ本人がそこには気付いていない様子がまた、エディらしい。
 意識している訳ではないのだろう。だが、女として生きたいと願い始めたころから本当に、エディは淑やかになった。エディがエディらしくいられるのなら、男として生き続けたとしても俺の気持ちは変わらなかったと思うが、それでも……無理をせずに女らしくなっていくエディが、日々愛しいと思ってしまう。俺のために、女として生きる道を自ら選んでくれたことに、感謝の気持ちを抱いてしまう。
 ト「バカ言うな。お前と共に生きていけるのなら、それだけで俺は幸せだぜ?」
 エ「そっか……なら、良かった」
 他愛ない言葉を交わしていくうちに、伝えたい言葉がやっとまとまってきた。……切り出すか。
 ト「それでな、わざわざ部屋まで来てもらったのは伝えたいことがあったからなんだが……」
 エ「伝えたいこと?」
 ト「ああ。その……今日で、ちょうど一年だと思ってな」
 わかりづらい切り出し方にも関わらず、エディは嬉しそうな顔をしてくれた。そして、首から下げたドラゴン・メカニズムのペンダントをそっと握った。
 エ「トムが新しく、このドラゴン・メカニズムに誓い直してくれた日から……恋人としての関係を始めた日から、だよね?」
 そうか、エディもちゃんと覚えてくれていたか。
 ト「ああ。ただ、あの時は「今、伝えよう」と思ってた時にお前への気持ちを伝えた訳じゃなくて、急にそういう流れになっちまったから、なんつうか……はっきりとした言い方が出来てなかった気がしてよ」
 当時のことを思い出したのか、エディは小さく笑う。
 エ「そうだよね。あの時って、偶然俺がミハエルに、トムと俺との関係の相談をして、それを偶然トムたちが聞いてて……で、父さんが背中押してくれたから、あの時お互いの想いを伝え合えたんだもんね」
 ト「あんな突発的に繕った言葉でも、しっかり俺の言いたいことを受け止めてくれたこと、本当に感謝してる。だが、いろいろと落ち着いたからこそ、改めてちゃんと伝えたいと思ってな」
 そう言って、俺はエディの手の下に置かれていた自分の手をそっと抜いて、今度は俺がエディの手の上に自分の手を重ねた。エディに手を握られたままだと、なんつうか……大事なことを伝えるのに、受け身を取っているようでもどかしかったからな。そして痛くならない程度に、想いの強さを表すように、しっかりと力を込めて俺の手の下になったエディの手を握る。
 ト「あの日から今までもずっとそのつもりでいたが……改めて聞かせてほしい。これからも俺を、エディを愛し守ることをこの世でただ一人許された男でいさせてくれるか?」
 俺の言葉に、エディは優しい笑顔を返してくれた。
 エ「もちろんだよ……! 俺だって……これからも、この世の誰よりもトムを愛して支える存在でい続けたい。その……今まで何度も言ってるけど、女らしくなくて悪いんだけどさ――」
 ト「いい加減、女らしいとからしくないとか、そんなことは気にするな」
 突き放した態度に思われたかもしれないが、それでも俺はあえてエディの言葉を遮るように言ってやった。だが、俺の言葉の続きを待つエディの顔には、どこか安心感のような色が見えた。きっと、俺の言いたいことを理解してくれているんだろう。
 ト「俺は、男として生きてきた名残があったってエディらしくて良いと思うし、無理をしていないのなら、女らしくなろうとするお前の気持ちも十分に嬉しいんだ」
 エ「ありがとう……うん、それじゃあもう、女らしくないからって引け目を感じたりはしないよ。そうだよね、そういうことを気にする方が、トムにも気を遣わせちゃうよね。でも、嬉しい……無理はもちろんしてないけど、本当のこと言うと、トムのために少しでも女らしくなれたらいいなって思ってたから……そのことに気付いてもらえてたことも、自分の気持ちで女らしくなろうとしてる俺を受け入れてくれてることも、本当に嬉しい」
 互いに、笑顔を向け合って話しているこの時間。俺の言葉を一つ一つ、嬉しそうな笑顔で聞いてくれるエディが愛らしい。愛する相手に対しては月並みな気持ちなのだろうが、この笑顔をずっと見ていたい。こんな風に笑ってくれるエディと、ずっと共に生きていきたい。
 ……きっとこんな気持ちが膨れ上がって、かつての父さんも、今日俺がエディに本当に伝えたいと思っていることと同じことを、母さんに伝えたんだろうな。
 そうさ、今日の本題はこれからなんだ。エディの笑顔に見惚れている場合じゃねえ。
 ト「それとな、もう一つ伝えておきたいことがある」
 エ「もう一つ?」
 ト「ああ。こっちの方が本題だ」
 聞き返すエディにうなずいて、俺は座っているベッドの奥の方にある枕の下に手を入れる。そして、不思議そうにエディが見ている中、そこに隠しておいた小さな袋包みを手に取り、エディに見える場所に持ってきた。
 そういや、あの時も同じようなことをしたな。エディの六歳の誕生日。父さんと共に用意したプレゼントを、エディに渡す直前までクッションの下に隠していたあの時も。
 そんなことを思いながら、俺は手に持った袋包みから小さなリングケースを取り出し、エディに見せるようにその蓋を開けた。
 エ「え、これ……」
 ケースに入れていたのは、ドラゴン・メカニズムが埋め込まれた小さな指輪が一つ……
 そう、今日エディに伝えたいことの本題とは……プロポーズだ。
 ト「今すぐにではなくとも……俺と、結婚を約束してほしい」
 エ「結婚……」
 そうつぶやくエディの顔は、赤らんでいた。
 ト「仕事をしてると言っても、俺たちはまだガキだ。実際に籍を入れるのが早すぎるのはわかっている。だが、エディを想う気持ちは永遠に変わることはない。なら、いつ結婚を約束したって同じだと思ってな」
 一呼吸置く。そして、指輪に目線を落としてから続ける。
 ト「だから……俺たちが新たな一歩を踏み出したあの日から一年という特別な日に合わせて渡せるように、この指輪を用意した」
 俺の話を聞き、エディも目線を指輪に落とす。
 エ「すごい……これ、ドラゴン・メカニズムだよね」
 ト「ああ。やっぱりお前にはドラゴン・メカニズムがよく似合うと思ってな。リングこそ買った物だが、石は俺が削って加工した」
 互いに指輪を見ていた俺たちだったが、同時に顔をあげ、目が合った。
 ト「受け取ってくれるか? この、婚約指輪を」
 エディは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
 エ「もちろん……喜んで受け取るよ」
 自惚れ過ぎだと言われようと構わない、俺はエディが指輪を受け取ってくれることは確信していた。だが、やはり実際にその瞬間を迎えるとなると、俺も幸せを感じずにはいられなかった。
 ト「ありがとな……」
 エ「ねえ……さっそくだけど、つけてみてもいいかな?」
 控えめにもそう言うエディに、俺は言葉で答える代わりにエディの左手を持ち、その薬指に指輪を通した。
 ト「俺の思った通りだ。似合ってるぜ」
 思ったままのことを口にした。その言葉を聞いて、エディは嬉しそうに、そして愛おしそうに、指輪をつけた薬指ごと左手を自身の右手で包んだ。
 エ「ありがとう。嬉しい……本当に嬉しいよ……」
 そう言ったエディは右手を開き、現れた指輪と、首にかけているペンダントを交互に見る。
 エ「ずっと、大事にするね。ペンダントと一緒に、ずっと……」
 それから、エディは俺を真っすぐに見た。
 エ「女に生まれたことが辛かった。エルスの家で両親からひどい扱いを受けたのも、どんなに頑張ったって兄弟たちのように強くなれないことも、全部女に生まれたからなんだって思うと本当に辛かったんだ……でも、今は違うよ。やっぱり女に生まれて良かったって、心の底から思える。トムの隣で、女として生きたいって……遅かったかもしれないけど、気付けて良かったって……」
 ト「本当に、お前が望む生き方を見つけられて良かったよ。……まあ、エディがエディらしく生きられるのなら、お前が男として生き続けることを選んでいたって俺の気持ちは変わんねえだろうがな」
 少しおどけて言ってみせたが、本心だ。例えエディが俺の気持ちを知ってもなお男として生きたいと望み、そのうえで俺の気持ちを受け入れてくれていたとしても、エディを愛しく思う気持ちが消えることはなかっただろう。
 それをわかったうえでか、エディはまた緊張が解けたように自然に笑ってくれる。
 エ「それって、男同士になったとしても俺のことを愛してくれるってこと?」
 ト「そういうことだ。なんだ、だったらやっぱり男として生きていくか?」
 そう言ってからかってやると、エディは冗談だとわかっているように笑ったままに、
 エ「そんなころころと生き方を変えたりはしないよ! もちろん、男でも女でも愛してくれるっていうトムの気持ちは嬉しいけど」
 なんて返してきたが、ふいに真面目な顔をした。
 エ「それに……今すぐにではなくても、トムとの子供の母親になりたいから。母親には、女じゃないとなれないからさ」
 エディが伝えてくれたその気持ちに、俺は驚きを隠せなかった。エディと共に親になること――新たな家族を作り、守っていくことは、俺も望んでいることだったからな。
 ト「それは……俺を、エディとの子供の父親にしてくれるってことか? 俺との子供を、産んでくれるのか……?」
 エディはまた照れたように顔を赤らめてうなずいた。
 エ「女として生きていくって決めた時から、ずっと思ってたんだ。いつかトムと一緒に親になって、父さんが俺たちにくれた愛情を、今度は俺とトムで子供に与えたいって……」
 そう語るエディは幸せそうだった。
 そうか、お前は本当に……俺のためだけではなく、自分のためにも女として生きることを、望んでくれているんだな。
 ト「そうか……」
 エディが抱く将来への希望を聞き、俺も繕うことなく本心を伝えようと思った。
 ト「……ガキの頃からずっと、父さんのような誇れる父親になりたいと漠然と思っていた。一年前のあの日からは、そんな俺の隣にお前がいてくれることを望み始めた。その望みも、お前は叶えてくれるんだな」
 同じ気持ちを共有していたことを確信し、エディは安心した顔を見せる。
 ト「お前なら絶対にいい母親になれる。そして、俺をいい父親にしてくれる」
 絶対の自信を持ってそう伝える俺を、エディは嬉しそうに見つめている。
 ト「籍を入れるにしても、子を持ち親になるにしても、俺たちには必要な準備がたくさんある。時間もそれなりにかかるだろう。だが……エディと共に親となり、新たな家族と共に生きていける未来を……いつまでだって待たせてもらうぜ?」
 エ「うん……!」
 俺の言葉にエディは力強くうなずき、そして……静かに涙を流した。
 ト「エディ……? どうした?」
 エ「あ、あれ……なんだろ……嬉しいんだけどな……そっか、嬉しくても涙が出るって本当なんだね。ああ……エルスの家にいた時は、幸せになんかなれないんだってずっと思ってたのに。俺が弱くて逃げだしたから、今こうして幸せになれるなんて、なんだか……本当にバカみたいだ……――!」
 エディがそこまで言った時、俺は思わずエディを力強く抱きしめた。
 ト「弱くなんかない……お前は、逃げ出したんじゃなくて、勇気を出してエルスの親や生まれ持ったしがらみに立ち向かったんだよ。だからあの日、俺はお前を見つけることが出来たんだ……お前が幼いながらに必死に戦い続けてくれたから……俺も今、幸せなんだ……」
 エ「トム……」
 ト「ありがとな、エディ……あの雨の中、ずっと俺を待っていてくれて……こんな俺を、兄と慕ってくれて……俺と共に生きる未来を、約束してくれて……」
 エ「俺こそ……あの雨の中で見つけてくれて、いつだって俺のことを守ってくれて……何よりも、女として生まれたことに意味があったと気付かせてくれて……本当に、本当にありがとう……」
 もう一度、俺は優しくも力強くエディを抱きしめる。今度はエディも、俺に応えるように負けじと力強く抱き返してくれる。
 しばらくの間、互いに互いの温もりを感じ合った。そして自然と腕を解いて向き合ったその時……エディの左手の薬指に通された指輪のドラゴン・メカニズムが、淡くも優しく光った気がした。


 エドガー・アークライト――生まれたエルス家の事情に翻弄され、男として育てられた女の子。俺たちアークライト兄弟の中で一人だけ血の繋がりを持たない、俺と同じ歳の兄妹。そして……俺に最高の幸せをくれる、たった一人の最愛の女性……
 あの日、降りしきる雨の中で他でもないこの俺が、まるで導かれるようにエディを見つけたこと……あれは奇跡と呼ぶ類のものだったのかもしれない。
 いや、たとえただの偶然だと言われようと……そんなことはどうでもいいんだ。
 あの時エディと出会えて、これからもエディと共に生きていく――何より大事なことは、この事実なのだから。
 そうだ、俺はこれからもエディと共に生きていく。エディと共に、新たな幸せを築いていく。

 なあ、エディ……
 あの日、エルスの因縁に立ち向かい、勇気を出して生きる決断をしてくれてありがとう。
 あの雨の中、苦しかっただろうに、それでもずっと俺を待っていてくれてありがとう。
 ……この世でただ一人、この俺を愛してくれて……本当にありがとう。

 

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